大丈夫

つまり、この二日間で、教頭先生、学年の5人の先生、学年主任、特別支援の先生が、私の子どものために動いてくれたわけでした。
なんかすごいな。
で、結果として、なんでもなかったけど、いじめのことは、大山鳴動ネズミなし、ぐらいがいいなあ。

子どもの不安に対して、親としては、大丈夫、といってやりたいのだが、どうすれば大丈夫、と言えるのか。そのあたりを探ってる感じだった。

わかったこと。

先月の事件のあと、野獣派が「先生にチクる子はきらい」と言っていたと、誰かが言ったのを聞いたらしい。それで子どもは「ぼくはうらまれている」と思った。

なので、新学期になって、階段や廊下で野獣派がぶつかる、1組から女子が来る、どんぐりがばけものに聞こえて、また3年のときのようなことがはじまるんじゃないかと、思った。
そうなったら、ぼくはどこへ逃げていけばいいのだろう。

それなりに理由のある被害妄想ではある。

そんなことはないよ、と親として言えないのは、私自身が、相手の子や親を知らないからだ。反省したのかしてないのか、うらんでいるのかいないのか、判断できない。

とにかく子どもは、先月の事件のあと、あやまってもらっても、安心できてなかったわけだ。「うらまれているかも」という不安とたたかっていたんだね。

新学期がはじまった日には、子ども、校庭で紅衛兵に声をかけられて、こわいもんだから「母さんに言うよ」と言ったらしい。近寄らない約束なのに、約束破るなんてひどい、と思ったらしい。紅衛兵は、「声かけただけなのに」と言ったらしい。

なので、子どもには言った。野獣派の陰謀はなかったでしょう。だれもきみをうらんでない。だから安心していいよ。
近寄らないと約束したといっても、みんな学校に来る権利はある。近くにくることもあれば、知ってるんだから、声もかけるよ。でももうきみをいじめないし、うらんでもいないんだから、おびえなくていい。母さんに言う、って言わなくていい。
紅衛兵も、何もしてないのに、いつまでも言いつけられたらかわいそうだよ。
ふつうに返事すればいいし、したくなかったらしなくてもいいけど、もう大丈夫だから、安心しなさい。

子ども、うなずいた。

それで、子どもに、大丈夫だと言ってやれる私の根拠は、
相手の子の様子も親の姿もわかんないことに変わりはないけど、先生たちがみんなして、子どもの不安に、大真面目に対応してくれた、ということなんだけども。
「大丈夫だよ」と子どもに言えて、私もほっとした。

ありがたいことでした。