ぼくはいじめをなくしたい

そういえば学校の帰り、スーパーに寄ったら、近所の中学生と高校生のお母さんいて、立ち話。最近、隣の学区の児童館でパートするようになったが、子どもの荒れようがすごい、と言う。こんな田舎なのにね。昔、東京で7年ほど児童館や学童で働いたこと思い出す。なつかしいといえばなつかしい。もう一度そういう仕事をしたいような気もすこしするが、もう二度といや、という気持ちもする。

彼女の高校生の息子は、小学校3年4年といじめられた。中学校にはいったらまたすぐにいじめられて、中学校は暴力的だった。平穏だったのは2年の一時期だけ。3年のときは一年中机につっぷしてやり過ごした。いじめは難しい。簡単に解決なんかしない、先生に言ってもだめ、相手の親なんか、うちの子はそんなことしてませんで終わり、もうほんとうにどれだけ苦しんだか。

という話を聞く。でもそれにしても、なんでこんなにいじめが多いの、っていうか、ほんと蔓延してるのね。

彼女はそんなに苦しんできたのかあ、と胸痛く、でも私は、苦しむのはいやなんだけどな、と思う。

難しい問題だろうがどうだろうが、解決する、解決できる、という光景を私はつくりたい。



夕方、担任から電話。野獣派の言い訳と、あやまったこと、それから1組で、至急道徳の時間をもって、言葉遣いのことなど考えさせることを相談したという。でも、それはなんだか、お花畑的対応に見えるので、言う。

野獣派の言い訳は嘘だと思ってます。彼女は大人相手に平気で嘘をつくと私は思ってます。

担任、ちょっと絶句のあと、3月のいじめのあと、当時の担任が、どんな対応をしたのかなど、詳しいことを聴いてまた電話します、と言う。

一時間あまりのち、今度は教頭先生から電話。
こんどは話がはやい。

野獣派について。
彼女の言い訳は嘘ですが、それはそれでいいと思っています。叱られるのがこわいんでしょう。だまされたふりしてもいいです。ただ、近寄らないという約束は守りなさいと言ってほしい。クラスも近いし、どうしても近くにいると言う場面は出てくると思うけれども、そのときに、ついいじめる、という気持ちを彼女が抑えられるか、ということが問題、それができなくて、またこういうことが起きたときには、親に来てもらう、というぐらいの釘はさしといてほしい。

謎の3人組について。
だれが、なぜ、なんのために、よそのクラスにわざわざやってきて、いじわるな言葉を吐いていくのかをはっきりさせて、失礼な言動を私の子どもに対してしたことについて、あやまらせてほしい。

発達障害担当の先生には、明日紹介してもらうこと。

以上、お願いする。

早々に対応していただいて、子どもがほっとしています、とお礼を言うと、
気づかないことを気づかせてもらってこちらもありがたい、とお礼を言われる。
いじめに加担した生徒たちは、他のクラスにもいるので、学年の先生全員で、この問題は共有していきます、ということで、なんか一度に風通しがよくなった。



思うに、野獣派女子たちは大人をなめている。ばれないだろうと思っている。実際、ばれずにすむこともある。大人は鈍感だから。でも教師がなめられたら、おしまい。ばれている、わかられてしまっている、というこわさを彼女たちは感じなきゃいけない。

具体的に動く、ということを考えている。教師も親も、具体的に動いて、問題を解決できる、という光景をつくりたい。ひとつのいじめが解決できる、という体験が、他の人たちのいじめについても、それを解決していけるスキルのひとつになってゆけばいいと思う。

子どもがいじめられる、それで苦しむ、無駄な苦しみに親も子もすりきれるのは、痛ましすぎる。

1日の間に、たくさんの先生が、きみひとりのために、時間をとって対応してくれたんだよ、と子どもに言うと、「大サービスだね」とうれしそう。そう思ったらまじめに宿題しなさい。
子ども、でも思いのほかに勇気づけられたみたいで、例の、学校にいじめ問題研究所をつくるという直訴状、明日もってゆく、という。「ぼくは学校からいじめをなくしたいんだ」と言う。

連絡帳に書き書き。彼なりに、自分の体験に向き合ったのです。見てやってください。

簡単に解決するかどうかわかんないが、たたかいつづけてゆくしかないからね。