苦しい坂道

「ママ、こんどこんなことしたら、このいえはもう、かいさんだからね」

子どもが怒った。まあ、私が悪いんだが、しっかし、自分が怒られたときの言葉をそっくりそのまま言うのが、おかしい。
今度こんなことしたら解散だからな。おまえみたいなやつと暮らせるか。
とパパはいうんである。

「かいさんしたら、ママはひとりでこのいえでくらすんだ。それでもいいの。かいものもひとりでいかなくちゃならないんだ。山をおりて、また山をのぼっていくんだよ。」
なんかすごく怒っている。

「くるしいさかみちを、おもいにもつをもってあるいてのぼらなくちゃいけないんだよ。わかる。」
目がうるうるしている。

「苦しい坂道」
ああその言葉だけは、パパの真似じゃくて、きみのふかいところからの実感だね。やれやれ、泣くほどつらいか。坂道。

その苦しい坂道を、毎日きみはのぼったりおりたりしているわけだ。とってもえらいと思うよ。
わかったから、もうそんなに怒るな。めんどくさいから泣くな。

青いチョッキ、できた、と思ったら、ポケットがいるんだって。右と左にひとつずつ。誕生日には間に合うよ。たぶん。



訃報。
3月と5月に、朝鮮学校でお会いして、学校の歴史、移転の経緯、入市被爆のこと、たくさんのことを語ってくださった呂サンホさんが亡くなった。あのとき病をおして、学校まで出てきてくださったのだ。謹んでご冥福をお祈りします。