2011カレンダー

来年のカレンダーつくった。パアラランの子どもたちの絵のカレンダー。
喜んでもらえたり、いらないと言われたり、いろいろしますが、懲りずにつくる。A4コピー用紙3枚の簡単なもの。うちのプリンターでお金かけずにできるので。

今年度支援していただいたみなさまに、年末年始頃、お届けできると思います。お楽しみに。もし届かなかったら請求してください。

パアラランへのクリスマス・プレゼント用に、英語版もつくる。

見ていた子どもが、ぼくのカレンダーもつくる、と言い出したので、おじいちゃんおばあちゃんへのプレゼント用に、子どもの写真と絵をのせたのもつくる。ぼくも絵をかく、とさらに言うので、絵の部分を白紙にしたヴァージョンもつくる。

☆☆

そういえば、児童館で働いていた頃、この時期になると、子どもにカレンダーの絵をかかせたなあ、と思い出したりする。12人の子どもに一枚ずつ絵をかかせた。クリスマスツリーの飾り付けするとか、リースをつくるとか。
楽しく働いたと思う。

たぶん。あの時期、子どもたちと一緒に過ごせたことはありがたかった。
パアラランでも、日本でも。子どもたちと一緒にいるのは、疲れることでもあったけど、ああ、自分にもわかる世界があると思って、涙がでるほどほっとした。
子どもたちが私を受け入れてくれたので、ふむ、私はまだこの世に足をおろしていていいらしい、と思えたのだった。

なぜ、自分の存在を罪悪だと思いつめたか。
なぜ、地上に足をおろす場所がないような気持ちになったか。
他人の感情をうまく理解して、それに沿った行動ができないのは私が悪いか。金がないのは私が悪いか。まともに働けないのも私が悪いか。
わたしがわるいんだな。

おまえがわるい、とみんな言うわけだ。
でも、なぜ私はそうなのか。
なぜ。あの発狂しそうな、なぜ、
に答えをくれる人はいない、とわかって、
まわりの人たちを、自分よりもののわかった大人だと思うことをやめた。

であれば、無理して大人とつきあわなくてもいいのだ。
世の中と折り合いがつかないくらいで、落ち込まなくていい。

生活はむずかしい。
自分が難しくても、まわりが豊かなら、食うことぐらいはなんとかなると思ってきたけど、気づくと、まわりも相当難しい。これは大変なことかも。

ああ。屋根があって、米があれば、ひとまず奇跡というもんだわ。

☆☆

パアラランのスポンサーのみなさんに、暮らしの平穏と余分のお金がありますように。
どこからか、パアラランの子どもたちの給食費が、出てきますように。

子ども時代が幸福でありますように。
そうすれば、大人になってから、もしかしたら、なんとか耐えて生きていけるかもしれない。