プラッサ

「世界子ども通信 プラッサ」30号が届く。
表紙の写真、なんかなつかしい気がするな、と思ったら、夏にパアララン・パンタオで私が写した写真だった。そういえば、そう聞いたような。夏のことなので、忘れている。
写真、特集のページの表紙にも使ってもらってうれしい。
特集は「学びの意味を探して」
私もパアララン・パンタオについて原稿書きました。ぎくしゃくして、あんまりいい日本語じゃないんだけど。まあ、精一杯。
「学校は子どもたちが尊厳を与えられる場所」というタイトルです。
レティ先生の信念と、学校の取り組みの一端を伝えられているといいなと思います。

教育の機会があたりまえのように奪われている土地にいると、教育と人間の尊厳が、どれほど不可分なものかが、骨身にしみて理解できるようなところがあるんだけど、本当に「学校は子どもたちが尊厳を与えられる場所」であるべきだと思います。
学ぶ、ということは、ひとりの人間として大事にされる、という経験からはじまるんだなあと、レティ先生たちの取り組みを見ていると思うんだけど、そのことも書ければよかったな。

プラッサのホームページはこちら
http://www.jca.apc.org/praca/

パアララン・パンタオでは、今月末に、ボランティアのお医者さんたち5人ほどと友人たちの協力で、地域の子どもたち大人たちの健康診断をおこないます。薬とビタミン剤を配布する予定。
一般にスラムではビタミン不足になりやすいです。野菜をとらないので。野菜は高い割におなかがふくれないのだよね。そういうものにお金をかける余裕がない。簡単におなかがふくれてエネルギーになるのはごはんとチキン。またはごはんだけ。魚や肉は傷んだものを食べる可能性も大きいので、生ものは食べない。徹底的に火を通す。何かで読んだけど、フライドチキンは、もともとは黒人奴隷のソウルフードだったらしいです。

パアララン・パンタオ開校20周年記念のクリアファイル制作中。来月にはできると思います。楽しみにしていてください。



連絡帳によると、先生はKくんと話してくれたようで、Kくんも、「歌えよーと言っても歌わないからひどいこと言っちゃった、ごめんなさい」って。あや先生、私もしっかり説明できてなかったかもしれません、すみませんって、書いてくれているのだけれど、そんなの、誰もしっかり説明できないと思います。ちびさんの行動は、だってほんとに謎だもん。
今度また、なぜ歌わないの、というようなことが起こったら、クラスのみんなと話し合いますって、きちんと受け止めてもらってうれしいです。

ちびさん音楽教室も行っているけど、弾くのはなんにも問題がない、ふだんのクラスでも、ひとりで弾いていいとなったら、16小節くらいの曲を、リフレインしたり途中で転調してみたり、速度を変えたり、勝手にアレンジして5倍くらいに引き延ばして弾いて、そのうち、音と気持ちが一緒に楽しくなる瞬間がやってくるのがたまらないみたいなんだけど、歌は歌わない。歌いながら踊るなんてことももちろんしない。発表会では、耳をふさいで突っ立っているか、耳をふさがないで突っ立っているか、どっちかだと思う。
教室の先生には以前にも言ってあるんだけれど、いい機会なので、他のお母さんたちもいるところで、またあらためて、耳の過敏と、歌えないこととについて、理解をお願いしてきた。すると先生が、「でも以前にくらべたら、ずいぶんよくなりましたよね」と言ってくれて、そうでしょうそうでしょう、と思ってうれしかった。音に興奮して走り回ったり寝ころんだりしないし、幼稚園でも教室脱走しなくなったし、その場にじっとしているというのは、何もしていないんじゃなくて、ちびさんとしては、すごーく成長して、そうなのだ。
で、歌わないときも、指だけは、音階通りに動かしているのが、なんだか律儀だ。