世界子ども通信「プラッサ」31号と休刊のこと

書こうとすると、ふと胸にこみあげてきて、なかなか書き出せないでいるんだけど、世界子ども通信「プラッサ」31号が、届いた。
今号をもって休刊とのこと。知っていたけれど、いざ最後の号が届くと、たいへんさみしい。気づかなかったけど、こんなによりどころであったんだなあと、思って。

プラッサのホームページ http://www.jca.apc.org/praca/

98年頃か「プラッサ」9号に、フィリピン留学から帰ってきた学生がパアララン・パンタオのことを書いた記事を、載せてもらったのが最初のきっかけだった。
そのあと、私が「プラッサ」の14号~20号に「スモーキーバリーの子どもたち ゴミ山で生きて、学んで、笑って」をなんと7回にわたって、連載させてもらったのでした。
94年から02年までの出来事を書いたと思う。(連載がそこで終わったのは03年には私が妊娠して、現地に行けなくなったから)

パアララン・パンタオを支える活動が、どうなるかわからなかったころ、書いたら逃げれない、書いたら前に進むしかない、と思って、ほとんど自分を追いつめるために記録しつづけていたことが、なつかしい。
「プラッサ」はその私の傍らにいて、見届ける意思を共有してくれた。そのことが、本当にかけがえなく、ありがたかった。

21号、22号には、やはり留学生の男子が、彼はゴミ山のスラムの家にホームステイして、何日もごみ拾いをして暮したのだが、そのときの体験が載っている。

(9号に書いた学生と21~22号に書いた学生と、ふたりとも新聞記者になったんだなあと、いまあらためて気づいた)

30号にも、パアラランでの「学び」について、小さな記事を書かせてもらった。

パアララン・パンタオのホームページ
http://www.fureai-ch.ne.jp/payatas/
の「読みもの」のページにまとめてあります。お時間のあるときにどうぞ。

つづきは、ブログで書いています……が、更新できてないっ、
うすうす気づいてたけど、見ないふりしてたけど、更新できてないっ、
ごめんなさいっ。

本当に「プラッサ」の編集のみなさまが、私たちの活動をずっと見守って支えてくれたこと、心から感謝しています。本当に本当にありがとうございました。



さて、届いた31号。
私は、「広島朝鮮学校を訪ねて」という記事を8ページ、書かせてもらいました。参考資料も含めると9ページの特集。

去年の5月に取材して、そのときは、この記事が出るころには(去年の夏には出る予定だった)、無償化除外の問題も解決していて、私の記事はきっとまぬけなものになるだろう、と思っていたのに、そうなっていないことが、本当にかなしい。
11月に広島朝鮮学校で無償化除外反対の詩の朗読会をしたときに、編集さんに無理言って、間に合うように、見本だけいくらか刷ってもらったのでした。その節はありがとうございました。

亡くなった呂先生、李校長先生、当時の生徒会長の黄さんに、3時間にわたって、民族教育の目的や、学校の歴史、移転の問題、日本のこと、祖国のこと、無償化除外のこと、語ってもらいました。
とても印象的な忘れがたい1日になりました。
書かなかったけれど、呂先生は被爆体験も語ってくださったのでした。

私は思うけれど、無償化除外を言う人は、私がたった3時間お話を聞かせてもらった、その程度にも、相手の話を聞いてないし、知っていないし、そもそも理解するつもりがないでしょう。

「プラッサ」さん、31号たくさん送ってくれました。
欲しい方差し上げます。連絡ください。paaralang@hotmail.com
一部500円ですが、無料でいいです。
(でも下さる寄付は拒みません。切手の差し入れ等も歓迎)

もしかしたら一方的に私から送るかもしれませんが。あしからず。

アメリカの知人がメールで送ってくれた映像。朝鮮学校を応援する韓国からのメッセージ。プラッサと同じ日に届きました。なんて不思議。と思っていたら今しがた、李校長先生がフェイスブックにあらわれた。……楽しいなあ。どうも、ご無沙汰しています。