続・バベルの塔 (追記あり)

広瀬隆さん学習会「福島原発事故の本質-いまそこにある危険-」in 福島大学
http://www.ustream.tv/recorded/15778590

この人は3月と同じことを言っている。3月は途方もなくおそろしいことを聞いたような気がしたけれど、今はごく常識的な認識のようにも聞こえる。
3月には、彼を、扇動者、と呼ぶ声を幾度も聞いたんだけれど、いまはどうなんだろう。

で、子どもたちのことについての考え方ひとつを比べてみるとして、
広瀬さんの主張と、
放射線を正しく恐れる」「正しい理解で冷静な行動を」 日本学術会議が緊急講演会
http://sankei.jp.msn.com/science/news/110701/scn11070122210001-n1.htm
あるいは、まえの日記の
カクリ論 http://m1se.blog.fc2.com/
との距離は、それぞれどれくらいなのか、とか、同じことを言っているのか違うことを言っているのか、そういったことが、私にはわかんないのだ、やっぱり。

同じ世界について語っているのである。同じ「いまそこにある危険」について語っているのである。

おそらく、数字、が根拠である。ところがその数字が何か、わかんない。そいで私みたいなのは、きっとどんなに説明されても、されてもされてもわかんないだろう。もうとっとと落第したい。

わかんないことについては、信じるか信じないか、という話になる。賭けみたい。誰の言葉に賭けるか、どの言葉をリスクが多いと思うか思わないか、それぞれの人生の判断で、誰のせいにもできないんだわ。

見たり聞いたり、考えたりしはじめたら、バベルの塔のなかみたい。でも、見たり聞いたり考えたりしなくても、やっぱりバベルの塔のなかなのだ。
こんな難しい世界になってしまっていること事態が、理不尽と思えるけど、この理不尽さを解消する力が、この国のひとにあるかどうかは懐疑的。

このわからなさ具合は、原発に由来するのか、日本、に由来するのか。
もちろん私の頭の悪さに由来するのではあるだろうが。



ずっと以前だけれど、フィリピンで、原発も基地も、地元住民の反対で撤廃された。そういうニュースがあった。
原発については詳細思い出せないのだけど、基地については、米軍基地がなくなって、暮しがたたなくなって、マニラのスラムにやってきた子どもたちが、96年頃かな、パアラランにもいたから記憶している。田舎から出てきた子と違って、基地の町から来た子たちはませていて、レティ先生は新しい生徒たちに苦慮していた。
基地がなくなる。そんなふうなことがフィリピンでは起きるというのが、新鮮に思えた。日本では起こりそうにないなあ、そんなこと、って思ったんだ。
で、実際起こっていない。



来月4日から11日、フィリピンに行きます。

(追記)

ああ、思い出した。スービックです。基地の町。
1992年 フィデル・ラモス、大統領に就任。米軍撤退完了。
その後しばらく町は失業者であふれたようですが、いまは経済特区になって外国企業の誘致などに成功し、定年退職後の日本人が移住する町のひとつにもなって、以前より活気ある町になったらしい。ケーブルの海外旅行の番組で、見たことあります。

原発も思い出した。マルコス時代の負の遺産ですね。建設したものの一度も稼働することなく閉鎖。1986年ピープルパワーでアキノ政権になったときです。
その翌年かな、広島に働きにきていた女の子が、あのときは黄色いTシャツを着てデモに行ったんだって話してくれました。なつかしいな。あのころはまさか、こんなに毎年フィリピンに通う運命になるとはつゆ思わず。

バターン原発。(第二次大戦中に日本軍が捕虜に残酷な行進をさせたことで有名な場所です。パターン死の行進、と言われてる。)
http://www18.ocn.ne.jp/~nnaf/75b.html