神田川

神田川、じんでんがわ、と読みます。この川べりを歩いて、高校に通ったけど、川、汚れていて臭かった。昔はこの川で泳いで遊んだもんぞ、と父が言うのも、とても信じられなかったほど。

歌をみかけたので、貼っとく。私の郷里の川だよ。
https://www.youtube.com/watch?v=H4AipgkuHZg


気をつけさいよと流れていく♪
そうよ、そんなふうに言うよ。もしもずっとあの土地にいたら、気をつけさいよ、と言える大人に私もなれたのかな。

☆☆

幼なじみのひとつ年上のりえちゃんという女の子がいて(でも高校のとき同じ学年だった。中学のときの不登校と引っ越しと転校のことはあとから知った)、高校1年の2学期、ある日、川沿いを彼女が歩いて帰るのを高校の窓から見ていた。夾竹桃の花のかげに見え隠れした。運動会前の放課後、団体ごとの応援練習というのが私はいやでたまらなかった。集団行動が吐くほどきらいだったのだ。いやいや居残って体操服に着替えていた。その窓から、ひとりで先に帰るりえちゃんが見えた。ここを、出て行きたいのは私なのに。

小学校のとき、運動会の練習で、ふと近くに一年上のりえちゃんがいて、「勝っても負けてもいいから、どうでもいいからはやく終わってほしい」って私が言ったら、「あんたもそう思う?私もそう思う」ってりえちゃんが言ったことがあった。
だから、もちろんりえちゃんはここを出て行きたいはずだった。そしてほんとに、まわりのことなんか気にせず、上級生が出席とりにきて、さぼったら次の日呼び出されるとか、そういうことにも怯えず、いまここを出て行けるりえちゃんが羨ましくて、そしてなにか痛ましい感じがした。
もしかしたら、もう帰ってこれないんじゃないか。

冬休みのあと、りえちゃんがいなくなった。
卒業前にようやく、りえちゃんの担任だった教師に、りえちゃんのことを聞いた。2年間思いつめてようやく「センセ」って声かけたのだ。りえちゃんは中退して、その後のことはわからないと言った。フランスの詩が好きで、フランス語を勉強してフランスに行きたがっていた、らしい。

何年かして、帰省したとき、神田川のまるみの店の前で、りえちゃんのお祖母さんを見かけた。りえちゃんは小さいときに両親を飛行機事故で亡くして、近所に住んでいた頃は、お祖母さんと未婚の叔父さん叔母さんと暮らしていた。りえちゃんはどうしていますか、と聞きたくて聞きたくて、でも声をかけられなかったな。

もし私が、お祖母さんを見かけて声をかけることができていたら、その前に、高校でりえちゃんと再会したときに、声をかけることができていたら、私は彼女を見失わずにすんだかしら、とずっと考えた。クラスも違ったけど、どうしてお互いにそ知らぬふりしかできなかったんだろう。
でも私は、中学校で見失ったりえちゃんに再び会えたことが、うれしくて仕方なかったのだ。試験のあと、貼り出される成績上位者のなかに、りえちゃんの名前を見るのが幸せだった。絵が上手で、頭がよくて、自慢の友だちだった。

不思議と、いつかまた会えると、そんな気もしていたんだけど、10年20年30年以上過ぎた。同窓生名簿にももちろん載ってないし、もうなんにも手がかりがない。