和解せよ、と

「破壊せよ、とアイラ―は言った」
中上健次の本のタイトルだ。
学生時代の終わり頃、ジャズが好きというわけでもなかったのに、アルバート・アイラ―はむしょうに好きだった。あの音は、なんていうのか、外からではなく、内から聞こえてくるみたいで、あのめちゃくちゃな音の重なり、音の並びが、もうとても快かったのである。破壊せよ、と言ってるのかどうかは知らないが。

故郷にいるとき、町を好きと思ったことはなかった。高校を終えて町を出ていくとき、お城山から町を見下ろしながら、この町が好きなのに、ずっとここにいたいのに、と友だちが言うのを聞いて、「好き」がわからなくて不思議な気がした。
それから今にいたるまで、私は、自分が住んでいる土地を、好き、と思ったことがない。

好き、というのは距離の言葉かしらと思う。故郷の町を、好き、と思えるまでには、距離も時間も必要だった。東京で過ごす時間を楽しいと思ったのは、東京を離れて、何年も過ぎたあとのこと。

18歳から10年間、広島市内に住んだ。いままた、市内に住んでいるのだが、それはだだっ広くなった街のはしっこのほうで、別の町の感じである。
市内にはあんまり近寄りたくない気持ちで暮らしている、ような気がする。

つきつめて考えれば、ある街を好きとか嫌いとかの問題ではなく、自分がそこで生きているからいやだったのだ。

ところで、電車とか汽車とか大好きな息子は、線路があれば、どこでも好きであるらしく、5月末の土曜日、私の所用にあわせて、宇品まで出て、電車の線路沿いを、写真撮りながら、えんえんと歩いた。
帰省のときに港まで電車に乗ってゆく通りだし、昔、友人たちの下宿先もあって、よく自転車走らせた道でもあるけど、どこかで地雷(記憶という地雷)ふむんじゃないかと、私は思ったりするんだけど、息子の目からは、ただ昭和レトロな通りに見えるらしく。この自販機安い、とか、緑の公衆電話とか、昔ながらの八百屋とか、喫茶店とかのたたずまいが面白いらしかった。

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たいてい電車から見るだけだから気づかなかったけど、ショッピングセンターが廃墟になっていたのは驚いた。

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もうそろそろ好きになっても、と声がした。和解せよ、とアイラ―は、言わないか。

それくらい歳月は過ぎた。故郷も東京も広島市内も、どこをどう歩こうと、私はそこで生きる人ではなく、どこへもどっても、ゴーストみたいなものだから、気楽に歩いて気楽に好きになればいい。地雷(記憶)があろうとあるまいと。

夕方、息子と別れて、友だちに会って、暗くなって帰る。家の近くの川で、蛍みつけた。もう、そんな季節だ。

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