旅の記憶

異邦の都市を、ひとりで、すこし途方にくれた感じで歩く。あの、すこし途方にくれた感じは、なつかしい。もといた場所、のようで。
たぶん、私は旅が好きではないのだが、むしろ引きこもりで出不精で面倒くさがりだが、でも、たまに出てゆきたいのは、あの、すこし途方にくれた感じに、触れたいからかもしれない。すこし、気持ちの風通しがよくなる。気がする。

何年前か、ソウルを歩いていたら、やたらに日本語が耳に入ってきて、そのあと東京に行ったら、今度は韓国語と中国語が耳に入ってくるのが、おかしかった。アジアの都市だなあと思ったことだけど。
東京も、そこに住むのでなければ、異邦の都市なのだ。
(そこに住んでた頃には、人多いし疲れるし交通費かかるし、でも出てゆかなければならないから、自発的には出てゆきたくないところだった。)
さて、その異邦の都市で、
ソウルで夜ひとりで歩いていて、晩ご飯をどうしようかと思うのと、東京でひとりで歩いてて、お腹すいてどうしようかと思うのと、感覚的には変わりがないなあと思う。ひとりで食べ物屋に入るのが苦手で(ずっと食べ物屋で働いていたにもかかわらず)、道ばたにしゃがんで、パンでも齧ってる方が落ち着く、のは、街が変わっても変わらないのだ。言葉が通じる通じないの問題でもない。
ソウルの道端で、屋台の金魚パン(たいやきみたいなの)食べて、ようやく歩く元気がもどってきたとか、東京で、前夜ホームレスのおじさんがいた駅の階段あたりに座って(おじさんがいたところなら、私もすわっていいんじゃないかという気持ちをたよりに座って、でも臭かったので、すこしはなれたところに座って)コンビニのおむすびを食べた、とか。

都市の記憶、あるいは旅の記憶について、まず思い出すのは、どこかを訪れたことよりも、何かの出来事よりも、あのすこし途方にくれた感じだなあ。お腹すいたとか、道に迷ったとか。

マニラにいるときは、もう、旅であるより、家族のところという感じなので、ずっと誰かと一緒なので、最近は途方にくれるひまがないのでしたが。

来月はじめに、上京できないかなと考えています。春休みなんだけど、そこをなんとか。ひとりで♫