「善の底知れない深さ」

昨日の午後、老人ホームに沼田先生を訪ねました。
お会いするのは7年ぶり2度目なのに、そんな隔たりを全然感じさせない。もう86歳で(ずっと一緒に暮らしていた妹さんは去年逝去)4年前からここにきて、いまはほとんど寝たきりのようでしたが、笑顔は7年前と全然変わらなくて、気持ちはとっても明るくて前向きで、おしゃべりしてたら、あっというまに一時間。
受付の人に「長くならないように」と言われていたので、ヤバいかも、と思って、あわてておいとましましたが、楽しかったです。

壁に貼られていた小林先生の写真がなつかしかった。
とりとめもないおしゃべりのなかでも、在日の被爆者の方のこととか、中国や韓国、フィリピンやマレーシアに行ったこととか、水俣病の方ともハンセン病の施設の人たちとも交流があり、というようなことが、ばんばんでてくる。「ハプチョンも行きましたよ。向こうの被爆者の人たちのことが気になるから、また行きたいんだけど、この体ではねえ」と残念そう。

「学ばないとだめですよ。原爆で片足を失くして、被害者意識にこりかたまって、憎しみしかなかった自分が、小林先生に中国のことを教えてもらって、アジアの戦争被害者のことも知っていくなかで、憎しみをのりこえてゆくことができた。学ばない人は、いつまでも差別したり人を排除する心がとれなくて、愚痴ばっかりの人生になって、そういうひとはほんとうにかわいそう」

リュウマチで手紙も書けないとおっしゃっていたから、いろいろ不自由も多いと思うのですが、たいへんに朗らかで、「生かされているんですから。生かされている間は前向きに生きないと」と言われて、いっさい愚痴がなくて、ご飯もおいしいし、毎日が楽しいとおっしゃる。そばにいてこちらも楽しくなってくるのが不思議なのだ。

「まあよく私のことを思い出してくれて」と何度もおっしゃるのでしたが、いや忘れられるものではない、と思いました。
「7年前にはじめてお会いしたときに、先生は、私は出会いに感謝しているんですよ、とすごくうれしそうに言われて、私はその言葉が不思議でした。うれしい出会いもあれば、そうでない出会いだってあるだろう。でも先生はそれを区別されずに、感謝していると言う。その心の強さはなんだろうと、ずっと私は考えています。」
というようなことを、言ったのでしたが、出会いの最初のあの衝撃は、たしかに私のなかの何かを変えたし、意識しなくても、それからずっと、沼田先生の存在は私のなかにあったのでした。

おいとましたあとで、沼田先生とさまざまな人たちとのつながりを思って、それはそのままそれぞれの悲惨を抱えた人間の同苦の心によるつながりということだけれど、そこにある崇高さにふるえる思い。この人はどれだけたくさんの隔たりを超えてきたことだろう。
『天秤』で河津さんが引いてくれたヴェイユの「善の底知れない深さ」という言葉を思いました。

それで夜、沼田先生からまたお電話がかかってきて、「何にも気がねなく話せて楽しかった。またちょくちょく来てください」と言ってもらったので、またちょくちょく遊びにゆけそうです。
うれしいなあ。私、短歌書いててよかったなあ。

  消えた足であなたは立ちあがる魚 海を渡ってくる声 ゆく声