星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

薔薇が咲いた

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庭のつるばらが、花盛り。でも庭からはあまり見えない。車庫の上から屋根をずっとのぼってきて、ベランダで花盛りなのだ。
ベランダの上や、屋根の室外機のまわりは枝を切っておかないとな、と思っていたけど忘れて、気づくと花が咲いていたので、花が終わるまでこのまま。
薔薇の花摘んで、畑のよもぎと一緒に、天ぷらにしてみた。香りを味と錯覚して食べる感じ。ちいさくてかわいらしかった。

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畑のにんにく収穫。1年分採れるからありがたい。ベランダの屋根がなくなっているので、二階の部屋のなかで干している。匂いがすごい。

季節も変わるけれど、気づけばいろんなことが変化している。
今、が変わり続けているし、対応しなければならないことは、私にもそれなりにあるし、未来ももちろん変わりつづけるのだが、すこし不思議な感じがするのは、過去が変わっていることだ。
年とったせいだけど。

謎だったり苦しかったあれこれのことが、ふいにくっきりその意味がわかって、それがあんまりばかばかしいと、なんていうか、うしろ足で砂かけるよりしょうがないじゃん、というか、すでに砂に変わっているというか。
生きるほどに、過去の方角にはあれやこれやの、自分と他人のいまいましい思い出が溜まって、そういうものをたくさんひきずって生きて行くのはしんどいだろうなあと、それはごく子どもの頃からおそれていたことで、
他人の記憶のなかに自分が残るかもしれないことも、とてもいやだし、
ほんとのところ、
私は生きるのがこわくてしょうがないような子どもだったんだけど、
なんとか生きてみたら、
どうやら、後ろはどんどん砂にかわってゆくので、 
それはもう捨てていいというか、消えてしまうと言うか、どんどん身軽になって、
いつか私は、なんにももたない人になると思う。
夥しい砂のなかに、ほんの少しだけ手渡されたダイヤモンドのような輝きがあって、それを、未来の方角にもってゆけたら、人生はそれでよさそうな気がする。

他人の記憶の中で、私が砂になれるかはわかんないが、歪んで奇怪なものとして記憶されるのかもしれないんだが、それならばそれで、他人の記憶のなかの私は、歪んだまま死んでゆくのでいいんだと思う。

国語の先生が、太宰の「人間失格」は、読むと人生しんどくなるから、読まなくていいよと言って、それで息子は、あー手遅れだよ、読んでしまったよ、と思ったらしいんだけど。
恥の多い人生でも、大丈夫だから。ほんとに大丈夫だから。