成人の日のこと


 昨日は成人の日。テレビのニュースを見て知った。

 20歳のときの成人の日のことを覚えている。その日もいつものように、街なかの喫茶店で働いていた。学生だったが、自活していたので、平日は夜、土日は一日、あれこれのバイトをしていた。
 忙しい日で、しかも振袖姿の女の客が多い。今日は結婚式が多かったのかな、とか思いながら店のなかを走り回っていた。そうか、成人式か、と気づいて、奇妙な気分になった。同じ20歳でありながらこの違いはなんだろう。
 目の前にいる振袖姿の女の子たちは、同い年であるはずだったが、私は彼女たちのことが理解できない。つまり、どうすれば、成人式に化粧して振袖を着て出歩くことができるのか、私には見当もつかないのだ。
 わかるのは、どう考えたって、たとえお金があったって、6畳一間のアパート暮らしに、それから私の精神にとっても、振袖は邪魔だということ。

 着物一式いくらするのか知らないが、きっと安くない。着物をひろげる場所もいる。髪を結う、着付けする、鏡の前で前を向いたり横を向いたりするのを、見て喜んでくれる親のひとりも必要か。連絡をとりあって一緒に出歩く友だちもいなければいけないだろう。そして一日が終われば、ふだんは着ない着物一式を、どう手入れして、保管するのか。
 女の子ひとりが、成人式に着飾るために、どれだけの金銭や、手間や、暮らしの余裕や、空間や、家族やまわりの人たちの存在が必要だろうと思ったら、その途方もなさに、なんだか呆然としてしまった。
 でも、そういうことにわざわざ気づいたりはしないんだろうな、と思いながら、私は次から次へとやってくる晴れ着の客に、水を運んでいた。
 注文を取り、料理を運び、皿を洗い、キャベツを刻み、いつものように午前11時から午後11時まで働いた。