子どもの頃は、あちこちにレンコン畑があったと思う。ハスの花が咲いているのも見たし、つぼみがいくつと数えたし、花が開くときのポンという音も聞いたと思う。
小学校に行く通学路沿いにもレンコン畑があった。3年生の冬、ぜんそくで夜に咳き込んで、朝は体がしんどかった。それでも熱でも出ないと休ませてもらえなかったから、その日も、ほとんど遅刻しそうな時間になって、学校に行きたくないなと思いつつ、とぼとぼひとりで歩いていた。
レンコン畑の横を、道の端ぎりぎりを歩いていたとき、急に風が吹いたのだ。ふらり、と体がかたむいて、そのまま、レンコン畑に落ちてしまった。
泥だらけでレンコン畑からはいあがりながら、これで今日は学校に行かなくてすむかもしれない、とすこし期待した。
とぼとぼと家にもどると、母は驚いて、さっそくお湯を沸かして、体を拭いてくれたり髪を洗ってくれたりしたが、着替えを出してくれながら、「お母さんが学校まで自転車で送っていくから」と言った。やっぱり学校に行かなければいけないのかと、がっかりだった。
もっとがっかりだったのは、着替えに出してくれたのが、白いぶ厚いタイツで、私はそれが嫌いだった。嫌いな白いタイツを履かされたみじめさに打ちひしがれながら、母がこぐ自転車の荷台にまたがって、学校まで運ばれて行った。
あのレンコン畑も数年後には埋め立てられてしまった。いつのまにか、あたりから、田んぼも畑も消えていった。
晩のおかずはレンコンのきんぴらだった。それから豆腐の野菜あんかけ。レンコンの皮を剥きながら思い出したのが、あの通学路沿いのレンコン畑。