降りながらみづから亡ぶ雪のなか


 夜中、表に出てみたら、雪空に月がかかっていた。満月に近い中天の月。空の天井に、汚れた電球がぼんやりともっている感じだった。

 雪はそのまま降りつづけたようで朝10センチほど積もっていた。庭も真っ白。子どもがまたひとしきり興奮して庭に出ていく。雪は降りつづいているけれど、降りながら融けている感じだ。「ゆき」とか「みず」とか言いながら、足もとの小さな水たまりを子どもはじっと見ている。落ちてくる雪が水たまりに消えていくのを見ているのだった。

 向かいの森やその向こうの山の雪景色がほんとうにきれい。降りしきる雪の、つもらずに消えていくのをみていたら、「降りながらみづから亡ぶ雪のなか」というフレーズを思い出した。寺山修司の短歌 である。

 降りながらみづから亡ぶ雪のなか祖父(おおちち)の瞠(み)し神をわが見ず (寺山修司)

 とても久しぶりに思い出したその歌が、思いのほかに過去の方角にあると感じられて、昭和が平成に変わって、もう18年にもなること、その歌を最初に知った頃から、ずいぶん月日が過ぎたこと、そして私の内部でも何かが確実に過ぎ去っていったのだと、ふと胸がつまるような、眩暈がするような、思いがした。
 むろん月日がどれだけ過ぎても、私の祖父や伯父たちが戦争で中国に行った事実に変更はないのだけれど。