ないじょうし

東京まで来ると、東北や北海道へも行けないことはないみたい、という気がしてくる。それで、東京に住んでいたころに、北海道まで青春18きっぷで行ったのが、30年前ですか。遠すぎて、ほとんど気が遠くなりそうだった。1日でたどりつかないから、どうしたんだっけか。夜に誰ものっていないような車両で、もう横になって寝てたら、話し声がする、外国の言葉、どこの国だろう、田舎の父が、仕事先で女の子らが聞きなれん言葉で話していて、どこの方言かと思ったら、フィリピンの子らだった、と言っていたころだったから、こんなところにも、フィリピンから来てるのかなあ、と思いつつ、体を起こして見てみたら、地元のおばあさんたちのおしゃべりだったのが、なんも聞き取れんかったこととか、思い出しますけど。

北国で生まれて北国で育って生きて、ってすごいことだと、思う。私、絶対かなわない。むかし北海道で、駅で、町の嫁探ししているらしいおじいさん、眉毛の白くてふさふさしたおじいさんに声かけられたとき、無理、と思いましたもん。こんな寒いところは無理、家があって土地があって車あっても、どんないい人でも、どんな財産あっても無理、と思いましたもん。3月でしたが、3月に雪なんて、泣きそうになる。フィリピンからも嫁に来てる、って、おじいさん言ってたっけ。ああ、南の人たちもえらいです。

私は半端な四国産なので。池みたいな瀬戸内海渡るのも、すんごい勇気が要った、むかし。

さて夏の旅のつづき。
仙台一泊のあとは新幹線で八戸、青い森鉄道で三沢。わざわざ迎えに来てもらって、ありがとうございます。寺山修司記念館。森の散歩道、よかった。
来てみないとわからないことって、たくさんある。道の遠さも。りんごの木も。米軍基地の近くの轟音も。地面と空のだだっ広さも。

 

それから青森市へ。記憶にあるのは、夜の青森港。青函連絡船で渡った。青函トンネルをくぐったこともあるかな。
暗くてさびしくてたよりなかった記憶の、上書き。港のりんご。

会ってくださった方たち、ありがとうござます。とうもろこしの茹でたのもらって、宿で食べたのが、おいしかった。
弘前泊で、翌朝、お城と長勝寺と行った。なんでしょう、この暑さは。東北にいる間ずっと34度とか36度とか。何かの罰ゲームみたいに。お城でチケット売ってる女の子が、紅葉の前に葉が落ちちゃって、今年の秋まつりどうすべ、って話してるって言ってた。

 

電車の路線図とか見てると、行き着く先まで行きたくなる。ホームで止まると、降りたくなるし、行先違う電車も、ドアが開くと乗りたくなる。けど。撫牛子のなんもない駅に降りてみるだけにした。撫牛子(ないじょうし)、地名に痺れる。

 どんな子がきっと私に似てる子が撫でていたのだろう撫牛子 (蝦名泰洋)

青森市に戻って、来年なくなるかもしれないと噂の棟方志功記念館に行った。昔の番組流しているのが、よかったな。ああ、こういう表情で、こういうふうに木を彫って、こういうふうに色を置いて、生きていたのか、という。
「私は自分の仕事に責任を持っていません」と言っていた。責任をもつのは神や仏で、自分は人間として、ただ転げまわる。そんなことを。

憧れて生きて、憧れたまま死にたいなあ、と思った。何を、って、たぶん、ついに言いあてられないだろう何か、を。

知らない土地が親しくなるのは、おろおろ歩く、という行為の分だけですね。暑くてあんまり歩けなかったけど。岩木山も見たし、あとはまた今度。