15歳の頃、20歳より向こうにも、人生がつづくなんて想像もつかなかった。夭折、という言葉はだから、切ない言葉というより、親しい言葉だった。夭折した詩人、などというのは、年をとって生きつづけている大人たちよりはずっと、自分の心の近くにいてくれる人たちの気がしたのだ。
 たぶんそんな理由で、その本も読んだのだ。松永伍一『悪魔と美少年』。夭折の詩人たちについての12編の文章をまとめたもの。「荒淫のはての孤独祭」は、25歳で死んだ詩人、藤田文江について。
 その詩をなぜ、ノートに写したのか、15歳の子どもが、わけもわからないで、ずいぶん生意気なことをしている。あれから長い長い歳月が過ぎて、ふいにその詩を思い出したのだが、25歳の詩人が遺した言葉 (「墓碑銘」と松永は書いている。) の胸に沈む重さに驚いている。この重さを15歳の私はもちろん知っていない。25歳の私もおそらくはまだ。


噫! 影は何処にでもある。
影(あなた)は宇宙の暗い力とすれすれに。

私があなたの奴隷であるか。
あなたが私の奴隷であるか。

            (藤田文江)