蝿の木

 自分の目で見て確かめたことはないのだが、夜明けの日の出の瞬間には、さえずっていた小鳥たちが、一瞬しずまって東の方向を向くのらしい。
 その話をしてくれたのは、10数年前、一緒にゴミの山の学校に滞在していた女の子で、そこにいたときも早起きだった。日の出のとき、あたりを飛び回っていた蝿たちは、一瞬空中に静止していた、とか。
 
 年末、4年半ぶりに行って、蝿の多いこと。建物のすぐ傍らまでゴミ捨て場になってしまったのだからしょうがない。雨季にくらべればずっとましだろうが、以前隣の家の庭にあったほそい木が、ごみのなかに一本残されていて、梢という梢に蝿がすずなりだった。柵のこちら側に積んである廃材の上にのぼって、蝿の木をカメラにおさめたが、なんでこんなものを一生懸命撮っているのか。ふと吐きそうになり、それにしてもまるまる太った蝿たちだった。
 
 なんの木だったんだろう。蝿の木、としかもうわからない。きっともうじきゴミのなかに消える。ゴミの山が拡張されたあたり、10年前は緑に覆われた住宅地だった。あちこちに井戸があり、子どもたちが水汲みしたり、洗濯したりしていた。木陰で家族が涼んでいたり、頭のしらみをとりあいっこしたり、していた。蝿の木のある家では七面鳥を飼っていたことがあったし、12月には、家族が夜遅くまでクリスマスキャロルを歌っている声が聞こえたりした。その隣の家では豚を飼っていたし、数件先にはサリサリストア、レティ先生の死んだお兄さんが住んでいた家。その奥に、レティ先生が住んでいた家。それから広い幼稚園。2000年のゴミ山崩落事故のあと、外国のNGOがたくさんはいるようになって、その幼稚園には大きなプールまでできた。子どもたちがゴミの山で汚れたままで入るから目に病気をもらってくる、と言われながらも、いつも子どもたちでにぎわっていたプール。まるで何もなかったように、ゴミのなかに消えてしまった。
 
 学校と隣の家の間に立っている椰子の木はいちだんと背が高くなっていた。ゴミの山に捨てられていた赤ん坊が死んで、この木の根元に埋められたという話をきいたことがある。もう20年くらい昔の出来事になるんだろうか。この椰子の木もそのうちゴミのなかに消えるだろう。