「橄欖追放」

東郷雄二さんのホームページで、短歌コラムが再開している。 http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/
以前、今週の短歌、というタイトルで200回連載されて、終わっていたもの。今週の短歌には、ずいぶんたくさんの歌人と歌集について教えてもらった。たぶん、情報の流通するところにいなかったせいで(自分からも積極的に求めなかったせいで)、私は、近年の歌人や歌集について、全く知識が欠落していたのだが、たまさか、東郷さんの短歌コラムに行きついたおかげで、いろいろと知ることができ、とてもありがたいコラムだった。

連載が終わって残念に思っていたのだが、再開されたと教えてもらった。タイトルは「橄欖追放」。この4月から。
1回目は、佐藤弓生さんの「眼鏡屋は夕ぐれのため」。私も大好きな歌集。
それで2回目が、野樹の「路程記」。
びっくりして、どきどきした。
http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/tanka/kanran/kanran2.html
作品を読んでもらえるのは、本当に幸福だと思う。
東郷さん、ありがとうございます。

それにしても、このように読んでもらうことで、自分ながら新たに発見することのなんと多いことだろう。
「野樹の存在の最深部に〈世界に対する違和〉が盤踞している」
たしかに、ものを書こうなどという意欲の源泉はその違和にくるしんだからでした。
「物語が充満した歌集」と言ってもらった。世界を理解しようとすること、私を理解しようとすること、が、物語を求めたと思う。
だから、「その物語は野樹がみずから選択したものではなく、この世に生まれ落ちた時点で押しつけられたものであり、野樹の心に闇を呼び込むことがある。野樹が歌を汲み上げる泉として、過去から押し寄せる闇を選ぶのはけだし当然と言うべきだろう。そもそも人にまつわる物語とは、自由意志で選び取るものではなく、私たちが否応なく引き受けざるをえないものだ。」とばかりもいえなくて、
作品世界において、野樹がみずから選び取ったり呼び込んだりした物語もあるのだ。

たぶん、半ばは、引き受けざるを得なかった「物語」が、〈世界に対する違和〉をもたらしたのだが、半ばは、〈世界に対する違和〉が、別の物語を自分のもののように引き寄せてきた、そのような仕方が、「路程記」の野樹にとっては、「世界」と「私」との間に橋を架けようとすることであったのだと思った。極私的光景が普遍的光景でもあることに賭けて、表現を志したのだ、ひそかに。

東郷さんのコラムのおかげで、ようやく言葉にして把握できる感じだ。なんていえばいいか、感謝です。ちょっと泣きます。つまり、そういうことだったんです。歌集を上梓しようという気になったのは、手放してもいいと思ったのは、「埴輪」の数首を書いたときでした。旅の終わりを感じた。

でもまだ、人生はつづくのだ。いのちもつづく。物語には終わりがない。