物語は

去年ノーベル文学賞を受賞したドリス・レッシング(1919年生まれ)は、5歳から30歳までをアフリカの南ローデシアジンバブエ)で育った。作品集「老首長の国」の訳者解説に、授賞式で代読された(健康上の理由で授賞式に出席できず)講演の一部が、紹介されている。

「<語り部>は、すべての人の心の奥底にいる。作家は、常にわたしたちとともにある。世界が戦争に襲われ……洪水に町が押し流されることもあるだろう……だが、語り部がそこにいる。わたしたちを形作り、維持し、創造するのは、わたしたちの想像力なのだから──よくも悪くも。わたしたちが引き裂かれ、傷つき、打ち砕かれることさえあろうとも、わたしたちを元気づけてくれるのは物語であり、それを語るものたちなのだ……」

物語への欲求はすごくあった、と思う。生きることが混沌としてわけわからなくなればなるほど。存在は罪悪であろう、と長いこと思いつめていたので、思いつめる一方で、たぶん、そのように思い詰める自分を転覆させたくて物語を欲求したのだ。
ゴミの山の学校は、どうしても存続させたかったので、記録したのだった。存続できるかできないか、いつだってせっぱつまっていたし。年々に、現実に、物語がつくられていくことは、なんだか凄かった。

物語、は、無惨な生を、にも関らず、肯定する勇気のようなものにつながっていると思う。にも関わらず肯定する勇気。