放送部

昨日の午後。
某高校の放送部が取材に来る。先生と、すっかり顔なじみの女生徒ふたり。修学旅行でハワイに行ってきたらしくチョコレートのお土産付き。
もう番組制作の締切が迫っているので、これが最後の取材だが、お嬢さんたち、カメラのバッテリーを忘れてきて、かわいそうに先生に叱られていた。うちのビデオカメラを使います。へんな気分。
パパとちびさんは、幸いおじいちゃんおばあちゃんとお出かけで、ちびさんにじゃまされることなく、ことはすすんだ。
なぜゴミの山に行ったのか、とか、なぜ、こんなに長い間、支援をつづけてこれたのか、とか、そんなこと本当は、言葉にならない、言葉にすれば、たちまち嘘くさくなってしまうようなことなんだけれど、でもそれを言葉にしなければいけない。早口なのでもう一度、と繰り返させられるうちに、ちびさんよろしく、絵本の暗唱をしている気分になってきた。
むかし、被爆体験を聞き書きしたとき、「ほんとうはあんたに話したくない」と必ずいわれたが、その気持ちはほんとによくわかる。テレビの取材クルーを案内してゴミ山に行ったこともあるが、あのときのレティ先生たち取材される側の疲労を、思いだしたりする。
支援は、何が大変ですか?ときかれる。大変なことはなんにもない。こうしてインタビューされたり、ときに講師みたいなことを、させられたりするのが、一番たいへん、と思うけど、まあそれは言わずにおく。こうしてカメラの前にさらされるのが、耐えがたいです。
レティ先生のような人がいることを、知っておいてくれればいいと思う。弱い立場の人たちのために献身する人がいることを、すこしでも身近に感じられたら、それはすこし幸福に近づくことと思うので、精一杯協力させていただきました。でももう、かんべんしてください。ぺこり。
おじいちゃんおばあちゃんが、庭の柿の実、大量にもってきてくれたのを、もって帰ってもらう。たすかった。
ちびさんたちは、大和ミュージアムに行ったらしい。「せんそうのふねをみたの」と言っていた。大和より、タンカーとかが面白かったみたい。今日はグーグルアースで呉の地図を見ていた。生意気に自分で検索するんです。

ビデオといえば、グレースは高校で、ホセ・リサールの「エル・フィリブステリスモ」という小説の、フィルムを撮る、といっていた。芝居でもするのかな。映像詩みたいなのかな。わかんないけど。
リサールの「ノリ・メ・タンヘレ」(われに触れるな)と「エル・フィリ」(反逆・暴力・革命)は、凄い小説だ。植民地支配の残酷とさらに抵抗の残酷とが、骨身に食い入ってくるような小説だが、とりわけ「エル・フィリ」は暴力革命の虚しさを語ったもので、それが高校での必修教科というのは、これは凄いことだと思う。ほんとうにいい小説なんだけど、いま絶版かもしれない。