「柳宗悦と朝鮮 自由と芸術への献身」

柳宗悦と朝鮮 自由と芸術への献身」(韓永大著 明石書店)読了。

柳宗悦(やなぎむねよし)は、民芸運動を起こし、日本民芸館を設立した人物として知られるが、彼は、朝鮮の陶磁器などの工芸品を愛し、収集し、1924年にはソウルに「朝鮮民族美術館」を設立していたことは、この本を読むまで、私は知らなかった。さらに、当時日本に侵略されていた民族の運命にまで深く心を寄せ、驚いたことに、朝鮮は独立すべきであることを主張し、同化政策をすすめる日本の軍国主義を堂々と批判し、やがてほろびるのは日本であろう、とまで言っている。特高に監視されながら、主張を変えることはなかった。
まったくすごい。
彼が当時、日本でも朝鮮でもまったく顧みられることのなかった李朝陶磁の美を発見し、それを愛し、それをつくった民族を敬愛し、美術館を設立したという事実だけでも、驚きだが、美の追求者であるにとどまらず、深い歴史観、平和への思想をもち、日韓併合の困難な現実のただなかで、国策にまっこうから逆らって、信じる哲学を実践していったということが驚きである。1919年に、朝鮮の独立を支持する、と言った日本人がいたこと。これはまったく、何より日本にとって、救いだろう。

偉大な人物と、その思想と行動に対して無知であるというのは、さびしいことだ。柳は、慶尚南道海印寺(ヘインサ)ちかくの石窟にある(秀吉の侵略時の破壊からかろうじて免れていた)朝鮮の仏像に深く感動したというが、この海印寺というところ、私が学生のときに訪れたハプチョンから遠くない。行こう、とハプチョンの女の子に誘われたことを思い出した。そうだ、ハプチョンの原爆診療所の院長は、パンフレットをくれたのだった。私はなぜ行かなかったのだろう。なんだか悔しみがこみあげてきた。
柳が「朝鮮民族美術館」を設立したのは、当時、朝鮮総督府が管轄していた景福宮内の建物だったが、私はそこも訪れたことがあるのに。ただぼんやり、散策しただけだった。

著者は、柳の思想と行動だけでなく、さらに、その思想をかたちづくったものは何か、を追及していく。両親や叔父たちが、勝海舟と深い関わりがあったこと(勝海舟は、日清戦争に反対し、清国との友好を説いた。柳の叔父は、学校をつくり、清国の留学生を受け入れた。そのなかに魯迅もいた)、それから、トルストイや、バートランド・ラッセルの影響、なかんずくカントの思想の影響に言及する。

「常にいよいよ新しくかついよいよ加わりくる感嘆と畏敬をもって心を満たすものが二つある。わたくしの上なる星の輝く空とわたくしの内なる道徳律である」(カント)

この言葉、私、中学生くらいのときに、何かの本で引用されていたのを、記憶している。こんなふうに記憶している。
「ああ、いかに感嘆してもしきれぬものは、天上の星の輝きと、わが内なる道徳律。」
ものすごくひさしぶりに思い出した。

たぶん、ああ、いかに……、という感嘆詞が、死ぬまでに本当に理解できれば、人としてこの世に生まれた価値は多少はあるかもしれない。