それから、韓国国立民俗博物館へ。
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敷地に入ると、いきなり、天下大将軍、地下女将軍たちがにぎやかに迎えてくれて、うれしい。昔、慶州を歩いていたときに、道端でふいに遭遇した記憶がある。スケッチした記憶があるが残っていない。道でこの人たちに会ったら、元気が出るだろうなあ。励まされて重い荷物を背負い直すだろう。
民俗博物館に併設されている子どもミュージアムのトイレの壁と空き缶入れ。
博物館内を見てまわる。私はここにはじめて来たはず。はじめて来たはず、なんだけど、すでに馴染んだ景色のなかにいるような気がする。昔、日本で、韓国の紙工芸品の展示を見て、とても感動した記憶がある。だから、ここは来たかったのだが、展示品は、涙ぐんでしまいそうなほど、素晴らしかった。館内を3周ぐらいしたかな。
日本で民芸運動を起こした思想家、柳宗悦(やなぎむねよし)は、日韓併合の時代に、朝鮮の民芸品を守るためにも尽力した。
ウィキペディア 柳宗悦 http://
【朝鮮とのゆかり】
「1919年(大正8年)3月1日に朝鮮半島で勃発した三・一独立運動に対する朝鮮総督府の弾圧に対し、「反抗する彼らよりも一層愚かなのは、圧迫する我々である」と批判した。当時、ほとんどの日本の文化人が朝鮮文化に興味を示さない中、朝鮮美術(とりわけ陶磁器など)に注目し、朝鮮の陶磁器や古美術を収集した。1924年(大正13年)には京城(現ソウル)に朝鮮民族美術館を設立した。
朝鮮民画など朝鮮半島の美術文化にも深い理解を寄せ、京城において道路拡張のため李氏朝鮮時代の旧王宮である景福宮光化門が取り壊されそうになると、これに反対抗議する評論『失はれんとする一朝鮮建築のために』を、雑誌『改造』に寄稿した。これが多大な反響を呼び、光化門は移築保存された。
1922年(大正11年)に私家版で和装本『朝鮮の美術』や、『朝鮮とその藝術』(叢文閣)を出版した。他の主な編著・著書に『今も続く朝鮮の工藝』(日本民藝協会、1947年、限定版)や、『朝鮮とその藝術 選集第4巻』(春秋社)がある。以上は『全集第6巻.朝鮮とその藝術 ほか57篇』に所収している。」
(引用ここまで)
『柳宗悦と朝鮮 自由と芸術への献身』韓永大 著(明石書店)に詳しい。とてもいい本だった。
思想家の牧口常三郎は、西洋の「真・善・美」のうち、真は認識にかかわる概念であるとして外して、価値の体系を「美・利・善」とするユニークな「価値論」を打ち立てたが、民芸というのは、まさに「美・利・善」の価値をひびかせているんだなあと思う。ユーモアがあり、生活への励ましがある。
柳宗悦が、なぜ朝鮮の民芸を命がけで守ろうとしたかが、見ていると深く納得されてくる。守るに値する価値を、柳宗悦はそこに見たのだし、民芸品を愛玩するにとどまらず、それらの民芸品をつくった人々への尊敬心も、同時に心を貫いたのだ。きっと、その尊敬心があったから、あの狂った時代にも、ぶれることなく、守るべきものを守ることができた。
☆
景福宮(キョンボックン)
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こちらも詳しい http://
柳宗悦が、朝鮮民族美術館を設立したのは、博物館の隣の景福宮のなかの、
緝敬堂(チッギョンダン)という建物。
民俗博物館のほうから入っていくと、すぐに見つかった。
こんなにかわいらしい、ささやかな建物だったのかと、いま見てきたばかりの立派な博物館との違いに、なんかちょっとこみ上げてくるものがあった。
宮殿のなかを散策する。池のほとりにすわって、向こうのかすむ山を見たとき、あ、27年前にもここに来た、と思い出した。このあたりにすわって、スケッチした。あの山のかたちをなぞったのを覚えている。
家族連れで来て、なぜかひとりすねてしまったらしい少年が、目の前を歩いていった。