韓国④ タプコル(パゴダ)公園~北村

27年前、はじめて韓国に来たときのルートは、釜山~慶州~ハプチョン~ソウル~釜山。ソウルは1日だけの滞在だった。
パゴダ公園(とそのころは言っていた。いまはタプコル公園と載っている)から景福宮、それから南大門市場、ソウル駅まで歩いて、セマウル号で釜山に戻った。
27年前にたどった道を、もう一度歩いてみよう、と思った。



11月28日朝、地下鉄で、まずタプコル(パゴダ)公園へ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%97%E3%82%B3%E3%83%AB%E5%85%AC%E5%9C%92
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以前来たときは、入場料を払ってチケットを買った記憶があるけど、いまは無料。こんなに小さな公園だったかしら。もっと大きいような気がしていた。それとも私が大きくなったのか。まさかそんなことはありえない。
あのときは民族衣装のおじいさんたちがいたが、いまはジャンパー姿のおじさんたちだけ。

ここは、1919年3月1日の独立運動発祥の地で、ここで独立宣言書が読み上げられた。ここには独立運動の様子を描いた10枚のレリーフがあって、まずそれを見たかった。Img_2883 

このレリーフは見ていると胸に迫ってくるものがある。
ナポレオンのスペイン侵攻を描いたゴヤの絵は、兵士たちの顔が見えない。見えないことで、機械的な非人間的な残酷さを伝えて戦慄させるが、このレリーフの、民衆に銃を向ける兵士たちには顔がある。(と、27年前にも思ったような気がする。)
一枚ずつハングルの説明もあるけれど読めないのでパス。
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ああ、思い出した。昔きたとき、私はカメラというものをもっていなかった。小さなスケッチブックをもっていて、そうだ、ここで、レリーフの絵をかいた。もうそのスケッチブックも残ってないけれど、たしかにかいた。一番最後のレリーフとあといくつか。

雨上がりの落ち葉を踏む。たしかにあの日いた場所にもどってきた。
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ところで、タプコル、という名前の由来になった肝心の塔だが、その姿には驚いた。保存のためだろう、ガラスの箱に入れられている。まるで宇宙船に乗せられた遺跡、というか、遺跡が宇宙船になった、というか、そんな感じで、このギャップはすごい。
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景福宮に行く前に、仁寺洞(インサドン)を通って北村(プッチョン)へ行ってみる。……坂道。
鐘路区、なのだが、ふとその文字が気になる。
思い出した。高校生のときに、文通していたソウルの大学生の住所が、鐘路区だった。気づくと、なぜいままで思い出さなかったのか、そのことのほうが不思議だ。
とすると、このあたりだったのだ。ヒョンギさんの家。

文通が途絶えてしまったのは、私が返事を書けなくなったからだった。ヒョンギさんは最初からずっと、学生の頃も兵役の頃も、変わらずにやさしかった。私が変わったのだ。

それにしたって、今から思えばどうってことないことだった。手紙が出せなくても、その2年後にはここまで来ていたのだから、訪ねて行くことだってできたのだ。パゴダ公園から電話をかけたら、迎えに来てくれたんじゃないだろうか。
若いって思いのほかに不自由だ。閉ざされてもいない扉を開くこともできない。

そんなことを思いながら坂道のぼる。やがて伝統家屋のつらなる小径。
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こんな石畳見つけた。
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立春大吉」「建陽多慶」の扉
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人の心のほかに扉なんてない。叩いてみればよかったのだ。

坂道降りる。そんなに遠くないところに、「冬のソナタ」のロケ地になった通りもあるはずだったが、もういや、坂道。パスする。