ソウル駅も広くて新しい。構内に飾ってあった子ども向けの楽しいジオラマがまず目にとまる。
傍らに、昔のソウル駅が残されている。日帝時代の建物で、27年前に来たときは、この駅をめあてに、ひたすら街を歩いたのだ。
建物の近くに行くと、なぜか上野の駅を思い出した。ジャンパー姿のおじさんたちがうろうろしているせいかもしれない。
昔とても優雅に見えた、白い民族衣装のおじいさんたちの姿は、どこにもない。
京義線でシンチョン駅へ。地下鉄の入り口より先に京義線乗り場を見つけたからだが、たまたますぐに電車が来たのは運がよかったのだ。1時間に1本の電車だということは、後日気づいた。うまくいけば、平壌まで行ける路線だが、うまくいってないので、行けない。
シンチョン駅から地下鉄の駅まで歩いて地下鉄でホンデ駅まで。会場にたどり着く。本日の朗読者、河津聖恵さんとホ・オンニョさんがいるから、ここでいいのです。
詩をうたう夜。シルル ノレハヌン パム。
その響きに聞き覚えがあって、思い出した。
ピョルル ノレハヌン マウムロ。星をうたう心で。
尹東柱(ユンドンジュ)の詩の一節だ。
朗読者のもうひとりは、愛沢革さんで、「尹東柱評伝」というおそろしくぶあつい本を訳した人。ホテルが一緒だったので、すごくお世話になりました。ひとりだったら、たどりつけなかったかも。あのホテル。
会がはじまるまで時間があって、日本から来た人たちとお茶。
広島から、産婦人科医の河野美代子さん来ていらしてびっくり。オンニョさんに誘われたって。人は思いがけないつながりかたをする。
それで、時間まで一緒に歩きながら、このあたり、亡くなった金大中元大統領のおうちが近くにあるのだとか、ここは韓国ドラマのロケ地だとか教えてもらったのでしたが、すると「コーヒープリンス」という店が目の前にある。
知らない私は???ですが、有名なドラマの舞台なんですね。
歩いていても、店のなかでも、けっこう日本のおばさんたちの日本語が耳にはいってきて、なんか笑い出したくなった。
日本の男たちの妓生(キーセン)旅行が非難されていたのは、もうずっと昔のことなのかな。韓国が経済成長すると、行き先はフィリピンになって、マニラ周辺には父親が日本人の子どもたち(ジャピーノ)が一万人以上もいるって聞いたのが20年くらい前で、それから、いまは父親が韓国人の子どもたち(コッピーノ)もたくさんいるって聞くようになった。
とりあえずいま、韓国には、たくさんの日本のおばさんたちが来る。
そういえば、駅で切符買うのも、韓国語、英語、中国語、日本語が使えるから、なんにも困りません。
地つづき、というか、海つづき。
☆
会はすばらしかったです。200人ほど入ったそうで、本もそれくらい売れた。本と一緒に、お祝い事のときに配るらしいおもちももらって、おいしかった。
内容は、河津さんや、河野先生のブログにくわしいです。
河津さんのブログhttp:// relianc e.blog. eonet.j p/defau lt/2011 /12/pos t-d391. html
河野さんのブログhttp:// miyoko- diary.c ocolog- nifty.c om/blog /2011/1 1/post- 9e4c.ht ml
http:// miyoko- diary.c ocolog- nifty.c om/blog /2011/1 1/post- 96df.ht ml
河津さんとオンニョさんが一緒に朗読したホ・ナムギの詩はこちら。
http:// yumenon oni.blo g.eonet .jp/def ault/20 11/01/p ost-c0c c.html
コムンゴの演奏も、書道のパフォーマンスも、チャンゴの舞も、バッハの無伴奏チェロ組曲の演奏も、心あたたかくなりました。チャンゴの舞を踊った人も、チェロ奏者も、朗読のオンニョさんも、司会の通訳をした女の子も、朝鮮学校の卒業生。
傍らに、昔のソウル駅が残されている。日帝時代の建物で、27年前に来たときは、この駅をめあてに、ひたすら街を歩いたのだ。
建物の近くに行くと、なぜか上野の駅を思い出した。ジャンパー姿のおじさんたちがうろうろしているせいかもしれない。
昔とても優雅に見えた、白い民族衣装のおじいさんたちの姿は、どこにもない。
京義線でシンチョン駅へ。地下鉄の入り口より先に京義線乗り場を見つけたからだが、たまたますぐに電車が来たのは運がよかったのだ。1時間に1本の電車だということは、後日気づいた。うまくいけば、平壌まで行ける路線だが、うまくいってないので、行けない。
シンチョン駅から地下鉄の駅まで歩いて地下鉄でホンデ駅まで。会場にたどり着く。本日の朗読者、河津聖恵さんとホ・オンニョさんがいるから、ここでいいのです。
詩をうたう夜。シルル ノレハヌン パム。
その響きに聞き覚えがあって、思い出した。
ピョルル ノレハヌン マウムロ。星をうたう心で。
尹東柱(ユンドンジュ)の詩の一節だ。
朗読者のもうひとりは、愛沢革さんで、「尹東柱評伝」というおそろしくぶあつい本を訳した人。ホテルが一緒だったので、すごくお世話になりました。ひとりだったら、たどりつけなかったかも。あのホテル。
会がはじまるまで時間があって、日本から来た人たちとお茶。
広島から、産婦人科医の河野美代子さん来ていらしてびっくり。オンニョさんに誘われたって。人は思いがけないつながりかたをする。
それで、時間まで一緒に歩きながら、このあたり、亡くなった金大中元大統領のおうちが近くにあるのだとか、ここは韓国ドラマのロケ地だとか教えてもらったのでしたが、すると「コーヒープリンス」という店が目の前にある。
知らない私は???ですが、有名なドラマの舞台なんですね。
歩いていても、店のなかでも、けっこう日本のおばさんたちの日本語が耳にはいってきて、なんか笑い出したくなった。
日本の男たちの妓生(キーセン)旅行が非難されていたのは、もうずっと昔のことなのかな。韓国が経済成長すると、行き先はフィリピンになって、マニラ周辺には父親が日本人の子どもたち(ジャピーノ)が一万人以上もいるって聞いたのが20年くらい前で、それから、いまは父親が韓国人の子どもたち(コッピーノ)もたくさんいるって聞くようになった。
とりあえずいま、韓国には、たくさんの日本のおばさんたちが来る。
そういえば、駅で切符買うのも、韓国語、英語、中国語、日本語が使えるから、なんにも困りません。
地つづき、というか、海つづき。
☆
会はすばらしかったです。200人ほど入ったそうで、本もそれくらい売れた。本と一緒に、お祝い事のときに配るらしいおもちももらって、おいしかった。
内容は、河津さんや、河野先生のブログにくわしいです。
河津さんのブログhttp://
河野さんのブログhttp://
http://
河津さんとオンニョさんが一緒に朗読したホ・ナムギの詩はこちら。
http://
コムンゴの演奏も、書道のパフォーマンスも、チャンゴの舞も、バッハの無伴奏チェロ組曲の演奏も、心あたたかくなりました。チャンゴの舞を踊った人も、チェロ奏者も、朗読のオンニョさんも、司会の通訳をした女の子も、朝鮮学校の卒業生。
異国母国超えてはばたく鳥でしょうふたつの言語を両翼として
私の歌集「もうひとりのわたしがどこかとおくにいていまこの月をみているとおもう」に収録したこの短歌は、高台にある広島朝鮮学校を訪れたとき、4階から見た景色、瀬戸内海まで見渡せる景色を思い出して、書いたのでしたが、きっとこの短歌を読む度に、ソウルの「詩をうたう夜」のことも思い出すだろうなあ、と思う。生徒たちの翼は、きっと強くてしなやかでしょう。
二次会はマッコルリ飲み放題。モンダンヨンピルの代表で、今回出版される本の1冊 「私の胸の中の朝鮮学校」のエッセイを書いたクォン・ヘヒョさんが、「冬のソナタ」のキム次長さんだとは、河野さんのブログ読むまで知りませんでした。そういえば、画面のなかで動いていた記憶が。サインはしっかりもらいました。
帰りの船のなかで、一緒だった81歳の在日のおばあさんが、韓国ドラマが大好きで、「冬のソナタ」も「秋の童話」も泣きながら見たんだと話していたけど、写真、見せてあげればよかったな。
キム次長さんたち、がんばっています。
モンダンヨンピルのホームページhttp://
【速報】日本大使館へ韓日市民団体共同声明書を提出する為の記者会見
http://
高校無償化共同声明・日本大使館受け取らず
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