帰省

土曜の午後、しまなみ街道経由で宇和島へ向かう。
Fおばさん(80歳)も一緒に連れて帰る。途中で叔父の家に電話する。
いまからそっちに帰る。うちのちびが、釣りをしたいいうんやけど、明日あいてたら、連れていってやってくれる?
おお、ええよ。

ゆうぐれのしまなみ街道を渡る。今治の造船が見えてくる。弟はこのあたりで働いているらしい。このあたりで働いているらしい、としか知らないが。彼はもう両耳とも聞こえない。最後に会ったのはいつだったろう。ちびさんが生まれたあとだからそんなに昔ではないはず。
夕映えの山々を見ながら走って松山を出る頃にはとっぷり暮れた。

高速が大洲あたりまで通って、宇和島までもだいぶん楽に帰れるようになった。高速のなかった頃は、山のくねくね道を登ったり降りたり、ずいぶん時間がかかった。かかったのだ。

広島を2時に出て、途中休みながらでも、7時半くらいには着いたんじゃないか。

ホテルに行く前に、父の家に寄る。いきなり昭和20年代にタイムスリップしたような感じである。家がそれくらいに建ったポロ屋で、蛍光灯もいつの時代のものか。使っている食器は、私の子ども時代からのもの。天井近くの壁の汚れ具合ときたら、なんというか、この家はもうほんとうは使ってはいけないものなのではないか、と思う。
エアコンも使えない。隙間がすごいので、全然きかないから、扇風機だけ使っている。
きわめつけはトイレで、Fおばさんは、うちのトイレを使うのはいやだから、近くの薬屋のトイレを借りにゆくし、男の子たちはお外でする。トイレトレーニングが難しかったちびさんに、この家のぽっとん便所を使わせる勇気はない(わが家もぽっとんだが、ぽっとん具合が違う)。
昔、韓国を旅したときに、田舎の民家のトイレがすごかったけど、夜はさすがにこわくて行けないから、寝室の外におまるを用意していて、私もそれを使ったけど、父の家のトイレも、なかなかなのだ。

離婚したあと、叔父の家に居候している兄もやってきて、一緒に運動会のビデオなど見た。おじいちゃんとおじさんにかまってもらって、ちびさん、はしゃいだ。

ホテルに着いてお風呂に入ったちびさん、たちまち寝る。ひとりはさびしい、とFおばさんが言うので、シングルのほうにパパを行かせて、私たちは遅くまで、あれこれ喋っていた。

宇和島で子育てしていた時代がよかったわ。ああ、あの頃の話ができる人もいなくなったねえ。とんでもなく貧乏だったけど、なんとか子どもそだてられた。まわりもみんな貧乏だったから、とりつくろうこともないし、気楽だったわよ。でもうちは、着るものも玩具も、親戚が送ってくれたけど、かずみちゃんとこは、そういえば、玩具もなんにもない家だったねえ。

そういえばそうだった。台所の欠けた食器をままごと用にもっていたぐらいかも。玩具を欲しいと思う子どもでもなかったし。いいのだが。

それから、古い友人たちの、あれこれの噂話。それから、それから、
………おばさん、ずっと話しやまなかった。