新しい道と釣りと花火

8月12日
帰省。昼前に家を出たが、広島市周辺は渋滞。いやだ、もう帰らない、引き返す、と運転しているパパが不機嫌だが、道路の反対側はもっと渋滞。行くしかないと思うけどね。
高速も広島市を離れたら、すいてる。気持ちよく、しまなみ街道わたる。
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今治からまた高速のって、道路の尽きたところで降りる、はずだったが、驚いた。高速道路がつながっている。途中からはバイパスだけど、宇和島まで、うちの近所まで。信号なしで、1時間半くらいで。
すごい。道ができていた。
道をつくるって数十年前から言っていたのが、やっとできたなあ。

それにしても、松山まで1時間ちょっとで行けるようになった。なんてことだろう。
隔世の感ってのはこういうことだわ。私たちの小学校のときの修学旅行先は、松山だったのである。

夜、私は同窓会。5年ぶりの中学校の。
5年前も見ている顔はわかったけど、名前と顔と一致しないよね、なかなか。と思っていたが、思い出しはじめると思い出す。小学校の同級生とか。けっこう残ってるもんだなあ。都会に出てたけど、帰ってきた、というのも。
もう関東はいややね。ここがいいね。山はきれいやし。海はきれいやし。
やんちゃだった男の子が言う。
2年生のときに同級生だった女の子と話す。こちらが覚えていないことを、何から何まで覚えてくれていて、めまいする。
抽選で、真珠のペンダントもらった。

小学校のときに遊んだ子がずっと以前に死んだということを知る。
なんにしても、同窓会に出てこようなんていうのは、それなりに、なんとか生きていけているので、めでたい人たちの集まりだ。

深夜、タクシーに乗ると、あのあたりで手をあげて止めてくれるお客さんは久しぶりって言われる。不景気だそうだ。
真珠もだめ、養殖の魚もだめ、米もみかんもだめ、一生懸命やるほど、もとをかけるから収入は減る。子どもも減って、町なかの学校が、僻地の学校ぐらいしか生徒がおらん。高校を出たらみんな外へ出ていく。帰っても仕事もない。
映画館がなくなってから久しいが、商店街もみごとなシャッター街。道もできて、買い物に行くのも遊びに行くのも、松山のほうまですぐ行けるもん。

常宿の、斎場近くの草のなかのホテルは、あいかわらず。時計は2時間15分遅れでまわっている。

8月13日
叔父と父と兄と誘って、釣り。叔父さんは、いま暑いから魚おらんぞ、と言いながら、それでも釣れそうな場所を探してくれていて、そこそこ楽しんだ。ゼンゴとチダイ。ごく小さいの。
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ごく小さいのを私にさばかしたら、かたちがなくなるので、私たちと父と、温泉に行ってる間に、叔父がさばいて、刺身にしてくれる。
これが、うまいなあ。ごはんがきらいで、お茶碗半分がやっとの子どもが、3杯おかわりしたねえ。そうか。ふだん食べないのは、料理がまずいからか。でもこういう刺身を、いつも食わせろって、それは無理。

いいもの食べて育ったんだよな、と思う。高校を出て広島に行ったとき、スーパーの魚がまずくて、あれから買えなくなったし、味噌もしょうゆも野菜も、全然ちがっていて、何食べていいかわからなくなったのを思い出した。
日頃こんなもの食べて育ったら、無理もないことだ。

夜、隣町まで花火見に行く。
大迫力だねえ。駅のホームから見ていたが、すぐそこであがる花火の、火の粉がぱらぱら降ってくる。
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子ども、花火はじまる前は、両手にうちわをもって、扇いでとびあがろうとか、ひとりで遊んでいたが、花火はじまると、花火見るどころではない。「音がうるさい。爆撃みたいだ」と言って、耳をふさいで駅舎のなかに逃げ込んでしまった。

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たしかになあ、戦争の爆撃だったら、この音はこわいだろうな。私はフィリピンの台風の夜の雷の音がこわかった。
「でも、家こわしたりしないから、平和の爆撃かなあ」と、子どもは言った。