進路の季節

スーパーの入口で、以前ピアノで一緒だった男の子のお母さんに会う。彼は地元の中学に行ったので、顔を合わすこともなかったんだけど、どうしてる?みたいな話をしてたら、1年なのに、保護者会はもう受験の話、だったそうでした。1年からの成績が内申で行くからね。前期が悪かったんだから後期は頑張らんとって言ったって、勉強せんしねえ。

スーパーのなかでは、近所の、いま高校3年の女の子のお母さんに会う。受験?って聞いたら、明日合格発表、で生きた心地がしないそうでした。
看護師さん志望。看護師さんはいいよ。時代がどんなに変わっても、役に立つ人でいられるし、ずっと仕事できるし。志望のところに受かるといいね、というと、
看護系は授業料が高いし、奨学金は返済が大変だし、みたいな話をお母さんはする。地元で進学してくれるのでなければ、とても進学なんてさせられない。

私が子どもの頃は、高校への進学が経済的に難しい家の女の子たちが、地元の病院に見習いで勤めながら、夜間の看護科に通って、専門学校も働きながら通って資格を取って、というふうだった。だから田舎の幼なじみには看護師さんが多いんだけど。お金がなくてもなれる仕組みがあったんだけど。
いまはそんなにお金がかかるの、と、ちょっと驚いた。

それにしても、お金の話は大変。
近所には、東京の私大に行った子もいるんだけど、卒業後奨学金が返済できないケースが多発しているので、よく考えて借りるように、という連絡が保護者宛てに来ていたりするらしいよ、とか。
収入の多寡はあっても、子どもが学校に行っている間、収入があればあったで、なければないで、たいていの生活はしんどいのだ。

こないだまで、小さい子どもたちだったのが、あっというまに、借金背負いながら、親たちを擦り切れさせながら、大学に行くような年齢になってしまっていて、驚くけど。
数年もしたら、他人事ではないんだなあ。おそろしくて、ふるえる。



そんな話をして帰ってきて唐突に思い出した。
高校3年のとき、大学入学後に給付型の奨学金をもらえるかもしれないという話を、担任が持ってきてくれた。詳細を思い出せないが、作文で審査する、というものだった。大学で何を学ぶか、何のために学ぶのか、というようなことがテーマだったと思う。
その作文が書けなかったことを思い出した。
文学部志望だったんだよね。でもなぜ、文学部なのか。
そのときも、なんて書いていいかわからなかったし、たぶん、いまもわからない。
教師になるわけでもなくて、文学で、それで、奨学金をくださいという正当性を、どうやって認めてもらえるのか、さっぱりわからない。
それでも何か書いて提出したはずなんだけど、何かとてもみじめな気持ちだったことだけを覚えてる。なんというか、正しさは私の側にはないのだという感覚。
案の定、審査には通らなかった。審査に通った人の作文のひとつは、医療系の学校に行く人だった。この人は、正しさの側、役に立つ人の側の作文が書けたんだなと思って、羨ましかった。

文学なんか後ろめたいことだと、最初に突きつけられたのが、あの作文だったかもしれないんだけど、思えばいろいろと後ろめたい人生ではありますけれども。

いたしかたない。やむにやまれぬわたし、だったので。

やむにやまれぬわが子は、どうするでしょうか。