ウクライナの揚げパン

昨日の午睡の夢。

どこか旅先で坂道を登っていったら、ウクライナに着いた。北のほうなのでウクライナなんだなと思ったけど、土産物屋が雑然とあるような路地だった。路地には小さな美術館もあって、美術品も展示してあって、それを見ながら、私は蝦名さんに短歌をメールした。いつものように両吟の続きを送った。見ていた絵のことを書いたかな。

それから、ウクライナの揚げパンというものを食べようと、店先にいると、蝦名さんからメールが来た。両吟の続きだ。時間のことを詠んでいた。返事はやいな、と思ったときに、あれ、このケータイまだ使えるのかな?といぶかしく思って、電話してみたら、蝦名さんが出た。

ふたりとも、電話が苦手だから、互いに電話なんてしたことなかったから、電話に蝦名さんが出たことにびっくりしていると、「うちにくる?うちのほうの人になる?」と言った。「ぼく、あなたといっしょに〇〇したいんだ」というので、〇〇が聞き取れなかったのを気にしながら、それは私も、それは私も、と答えようとして、じゃあ、死んだって聞いたのは夢だったのかしら、私まちがって、情報を流したのかしらと思って、目がさめた。

目が覚めた後もすこし、まだ生きているのが本当か、死んだのが本当かわからない感じで、「逝きました」とお姉さんの声を聞いた、そのことの方が夢みたいな感じがしたんだけど。

亡くなる2か月ほど前の、写真、お見舞いに行った友だちが撮ってくれたのが、髪も肌も白くて、すっかり痩せて細くて、妖精前夜、みたいな写真だったことを思い出して、ああ生きてるはずはない、のだと思った。

7月31日に、お姉さんからお電話もらった。22日に肺炎になって、26日に亡くなったそうです。「ぼくは生ききった」と、言っていたそうです。こんな時なので、お骨は青森まで郵送して貰えるそうでした。もう帰ったね。


私のなかには、ずっと昔に蝦名さんになついてしまった女の子が、そのままいて、

いないとさびしい、いないとさびしい、と、

泣いたり怒ったりしてるんだけど、22日、肺炎になるギリギリまで、あんた遊んでもらってたのよね。

感謝ばかり。 

短歌、あの世から送ってもらったの、覚えていなくて、残念だ。ウクライナの揚げパンなるものも、食べそびれたままで、残念だ。

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