エッセイ「あの日」

こないだ原稿を書いた雑誌が送られてきた。短歌の。30年前のことについて書いた。なかなか思い出す勇気もなかったことでしたけれど、えびなさんに読んでもらおっと思って書いた。まだ生きてくれていたから。
書いたから読んで、ってメール送った。

誰にも言ったことない話だったから、へえ、そんなこと言われたの、誰だろうね、そんなこと言ったの、わかんないわ、みたいな話をした。
「あなたね、態度悪いわよ」って、誰でしょうね、あの日、私にそう言ったの。

いや、あなただけではないんです。あのころ、どれほど言われつづけていたか。
あんた、へん、おかしい、変わってる、常識がない、礼儀を知らない、普通じゃない、歩き方が変、みっともない、その汚れた靴、みすぼらしい恰好、おまえのせいで……、あんたさえいなければ……。etc。
向けられる苛立ちや、怒りや憎しみの理由がわからなければ、そして理由がわからないのだから、それはもう存在が罪でしょうと思うしかなくなる。
態度の悪さの半分は、自閉スペクトラムに由来するんだろうなと、わかったのは、はるか15年のちですけれども。半分は、なんでしょうね、言った人が考えればいい、私はもう考えない。

ああ、ここでもか。ここもそんなところか。という軽い絶望感が、あのときあったかな。作品をつくるとき、あんなに自由だった、自分が、ここでなら息ができるかもしれないと思った場所で、よりによって、新人賞授賞式の場所で。
なんであんたみたいな子がここにいるわけ? って響きでした。あれは。

でもたぶん、えびなさんはわかってたのかな。その前にくれた手紙で、連れて行ってはいけない遊園地に連れて行ったかもしれません、って書いていたから。でもそこが、行ってはいけない遊園地なら、この世のあらゆる場所は、そうなんだよ、とあとで思った。

あの日のことはその後の、人生最悪の2年間の、はじまりあたりに位置していた出来事なので、気分悪くて、思い出したくないことのなかに、仕分けされてたんだけど。

30年ぶりに思い出した。あの頃のことを書けっていうから。思い出したらなんてことない、あんなの序の口。全然、笑い飛ばせる話。

 

  犬がかけまわるぼくさえいなければ宇宙は正しい法則の中  

これはえびなさんが、消去したたくさんの歌のひとつ。私この歌好きなので、どこかに置いといてほしくて、命乞いしたんだけど、かなわず。いつか出る彼の歌集には収録されません。

 

確かめたかったのは、あの夜、いっしょに銀杏の落ち葉の道を歩いたよね、ってことでした。思い出したんだけど、本当のことかそうでないのか、なんか不安になったんだわ。
黙って歩いた。コミュ障をもてあましてたって、えびなさん言ったけど、それは私も。言い訳が必要ないくらいには、私たちはよく似ていたと思う。ほんとに黙って歩いた。

で、そのまま、30年すぎた。途中ながく、互いに行方不明になりながら。

出会いの最初と、最後に、同じ場所にいた、という感じがする。

足音だけ、聞いていた。足音だけは、ずっと聞いていた。


他の人たちのエッセイが面白かった。いろんな人生ありますね。人生だけが、人生の疲れをいやしてくれる、って、誰の詩にあったんでしたっけ。

 

ところで、「あなたね、態度悪いわよ」と母は言われたのだという話は、息子にうけて、いま我が家的流行語。息子と言い合っては笑ってる。
一昨日の、進路の面談は、厳しかったですね。どうしてこの子が、その進路を狙うのか、という先生方のふにおちなさかげんが、伝わってきますわね。ま、あなた態度悪いしね。というか、とてもわかりにくい、かもしれませんね。

理系科目、記述で点とれる学力ないですからね。文系科目も、この学校ではいい成績でも、外ではなんでもないからね、こないだの模試はよかったけれど、その前はひどいし、夏休みもそんな勉強時間で、それではまた滑り落ちるのではないかと、不安なんだけども、一次で目標点とれなかったら、志望大学学部学科、変更しなさいね、みたいなことでしたね。
まあ、それはそうですね。

受験生のとき、過集中の果てに、受験まではなんとかなっても、そのあと、勉強も生活もなんにもできなくなってしまった私からみると、息子のゆるさは、それなりに安心なことでもあるんだけれども、それは言えず。

夏休みも終わるね。