ぼくたちの失敗、という歌があったな、そういえば、と、ふと思い出したりしたのだった。森田童子の歌のタイトル。その歌を昔聞いていたわけでもないんだけれど。ぼくたちの失敗、という言葉が。いやもう、なんというか。
それから、蝦名さんの短歌を思い出した。
だまされてあげると母が言ったのでうそをつきつづけた果ての秋
ゼンマイで動きはじめたわたしでもどこかで大人になれたはずだな
蝦名泰洋
ほんとだよ、どこかで大人になれたかもしれなかったんだけど。
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男の子、いずれ母に嘘をつくようになる、と思う。それはもう、パパが義母さんに対してそうだし。真っ赤な嘘、ほど嘘ではないにしても、微妙に、母を喜ばせようとしてか、こころよい話に仕立て上げるべく、ふくらませたり縮めたりする。最初、気になった。それからもうどうでもよくなった。
兄もそうだったし。大丈夫、心配するなという、でも兄の場合、ほんとは全然大丈夫じゃなかった、そして何が嘘で何が本当かわからないから、母の心配には限度がなくなる。
いちいち訊かない。何か訊けば、嘘をつかせてしまうかもしれないと思ったら、やってらんないわ。
息子が家を出て、昨日までゼンマイで動いてましたみたいな、この幼い子をひとりで外に出して大丈夫かな、と心配なんだけれども、でも、私よりましだ、とは思う。たぶん、ずいぶんまし。自分を思い出すと、幼さと危うさと、眩暈する。
どれくらい眩暈するかというと、私が家を出た年に母が死んだのは、ほんとによかったと思うほど。母が死んだので、私は母に、嘘をつかずにすんだ。嘘もつかず、心配もさせずにすんだのが、ほんとに救いに思える。
私の失敗で、母を悲しませずにすんだことは。‥‥失敗以外のどんな人生があるかわかんないけど。
もし母が生きていて、18歳からあとの私を、見ていなければならなかったとしたら、と考えると、あまりに気の毒で、私もつらい。自分の人生だから生きてみたけど、自分以外の誰かがこんなふうに生きるかと思ったら、それはおっかないな。とてもおっかなくて、見ていたくない。
父には何も話さなかったから、嘘もつかずにすんだけど、何も話さなかったから心配もさせなかった、ということではなかったのかもしれない。
娘が出て行ったままで、父さんはさびしかったかもしれないよ、と父の死後、パパに言われて、驚いた。家を出て以来、父を煩わせなかった私は、父に対してはいい娘だと思っていたのだった。私がいなくて誰かがさびしいとか、夢にも思わなかった。
でもたぶん、どういうふうに存在していいか、私はよくわかんなかった。
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そんで、蝦名さんの2首、どういうふうにこの世に存在していいか、よくわかんないよね、という感じ、なんか間違って生きてるみたい、間違ってしか生きられないみたい、という、はにかんだ感情を、よく掬ってくれてると思う。
この歌たち、両吟でもらったとき、共感のあまり、笑ってしまったんだけど。嘘つきの共犯になったみたいな。
こういう短歌書いてくれる人が、いなくなってさびしい。
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書いたから載せときます。歌誌「未来」のエッセイ。
それから、「クアドラプル プレイ」の書評2つ。白井さん(歌誌「未来」)と大田さん(「ねむらない樹」)ありがとうございます。
下の「灯船」25号の柴田典昭さんの記事は、前号の斉藤さんの時評を受けて。30年前の光景が、ふいになまなましく思い出されて、ちょっと泣きそうになった。そう、あのとき蝦名さん黒い服着ていた。覚えている人がいたなんて。
過去というのはいやなもので、なぜってそこに自分がいるからいやなんですけど、慕わしい他者もいたのだ、ということをもって、なんとかこの人生を耐えていくんだろうな、と思います。
なんで、ひとりで、先に、死ぬかな。
両吟歌集「クアドラプル プレイ」↓