詩碑 3月7日京都で

日曜日の朝は、そういえば、京都にいて、河津さんに案内してもらって、東柱の詩碑をたずねて歩いた。雨上がりの、ときおり小雨がぱらつくなか。下宿跡の詩碑。それから川のほとりまで出て、彼が逮捕されて連れて行かれた下鴨警察署の前を通ったとき、この詩人が、この国にいたこと、この場所を歩いたことを、強く感じた。

はじめて、この詩人の詩を読んだのは17歳のときだけれど、日本にいたこと、日本で獄死させられたこと、を知っていても、どこか夢の中の人物のようだったのだ。この川縁を歩き、この桜並木を、たしかに朝鮮の青年詩人は、見たのだ、と警察署の前で、ようやくその人が生々しかった。


序詩(ソシ)  尹 東柱(ユン トンジュ)

死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた 道を
歩みゆかねば。

今宵も星が風に吹き晒される。

(1941.11.20)

「空と風と星と詩」 影書房刊.1984

尹 東柱(ユン トンジュ)
1917年、満州は北間島明東(現在の龍井市智新鎮明東村)で生まれる。
1938年、ソウルの延禧専門学校(現代の延世大学校)文科に入学する。
1942年日本に渡り、立教大学英文科選科に入学(4月)する。9月、京都に移り、10月同志社大学英文科選科に入学。
1943年、7月同志社大学在学中に治安維持法違反で京都下鴨警察署に逮捕され、1945年2月16日 旧福岡刑務所で獄死した。(死亡原因に人体実験の疑い)
戦後、尹東柱の家族が彼の詩を収集し(多くの詩が特高警察が押収され行方が不明)、詩集「空と風と星と詩」が出版された。


それから同志社大学にゆくと、東柱の詩碑と並んで、鄭芝溶(チョンジヨン)の詩碑があった。
戦後韓国で出版された東柱の初版詩集の序文を、鄭芝溶が書いている。「日本の官憲は、冬の一二月にも花のごとき、また氷の下でも鯉のごとき朝鮮の青年詩人を死なせて己れの国を台なしにした」。
生前に面識はなかったようだが、この国にいた、ふたりの詩人の詩碑が並んでそこにあるのが、胸に迫った。


鴨川 鄭芝溶(チョンジヨン)


鴨川 十里の野原に
日は暮れて…日は暮れて…

昼は昼ごと 君を送り
喉がかすれた…早瀬の水音…

冷たい砂粒を握りしめ 冷ややかな人の心
握りしめ 砕けよ うつうつと

草生い茂る ねぐら
水鶏(くいな)の後家(ごけ)が 独り鳴き

燕のつがいが 飛び立ち
雨乞いの踊りを 空に舞う

西瓜の匂い 漂う 夕べの川凪
オレンジの皮を噛む 若い旅人の憂い

鴨川 十里の原に
日が暮れて…日が暮れて…


鄭芝溶(チョンジヨン)
1902年、忠清北道で生まれる。
1918年、徽文高等普通学校に入学する。この頃から詩の創作活動を始める。
1923年に京都の同志社大学英文科に入学。留学中も詩の創作を続け、日本語でも『近代風景』に「悲しき印象画」「早春の朝」「鴨川」などを発表し、北原白秋からも高い評価を受けた。
1929年、同志社大学を卒業すると、帰国し、家族を連れて、ソウルに移る。母校の徽文高等普通学校で英語教師として職を得た。
1950年、朝鮮戦争勃発後、消息不明。