暗き乳房

戦争のたびに砂鐵をしたたらす暗き乳房のために祷るも   塚本邦雄

という短歌など思い出した。



福島原発事故による母乳汚染まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2130403908989945001

児玉龍彦東大教授『福島で母乳からセシウムが1リットルあたり2~13ベクレル出た。チェルノブイリ原発事故で長期被曝が前がん状態を作り出したという研究報告と同レベルの濃度だ。行政の言う「ただちに健康に危険はない」という次元ではなく、異常な事態だ。食品の放射線量をチェックすることも極めて重要だ。』

子どもの尿からもセシウムが出たんだよね。微量だから心配ないって、言える神経が私にはわからない。



子どものころ、近所の長屋に引っ越してきた家族のことを思い出した。両親と小学校低学年の姉と弟。陽は射さない、畳は沈む家で、夫婦喧嘩のあとには、入口の戸も壊れてた。
母親はひどい喘息だった。夫は働いても酒とパチンコで使って、家に金入れないから、近くの焼肉屋で働いていた。米貸してって、醤油貸してって、毎日のようにうちに来ていたけど、夜はたいてい咳こんでいた。転げまわるような発作も何度か起こしていた。
私も子どもの頃、喘息だった。小学校の終わり頃にはおさまっていたけど、大人になってもなおらないっていうこともあるんだと、こわかった。
彼女は、子どもの頃から喘息で、思春期の一時期おさまったけど、大人になってまたひどくなって、下の子が生まれた頃からさらにひどくなって、薬が手放せなくて、おっぱい飲ませたら、薬の匂いがつーんとした、って話をしてたのを覚えてる。乳の匂いじゃない、薬の匂い。かわいそうにな。子どもらそんなもの飲んで育った。やけん下の子、体も小さい。
もしかしたら、それで勉強もできないのかなと、ときどき頼まれて、子どもふたりの勉強見てやっていた私は思ったんだった。

あのお母さん、考えてみれば、いまの私よりもずっと若かったんだ。ずっと若くて亡くなった。
それはもう、私が家が出たあとだけれど、彼女がながく入院することになったとき、夫は医療費をはらうのがいやで離婚した。薬のせいで、すっかりむくんで、歩くのも大変になって、死んでしまった。十代半ばになって金色に髪を染めてつっぱっていた男の子が、泣いて泣いて泣いてかわいそうだったって聞いた。
お父さんもそれから何年かして死んだって聞いた。
子どもたちはもう、それぞれ結婚してるって噂を聞いた気もする。

踏むと畳の沈むあの家で、一緒に七夕飾りつくったことあったっけが、ふたりとも、元気かな。