見える数字、見えない数字

子ども、算数の宿題プリント、たくさん×つけられている。親は、プリントをやったかどうかは見てやるが、答えがあってるかどうかは見てやってないんである。
長さの単位になってから、間違いが増えた。
cmとmmのまざった計算が、なんか全然できてない。単位を揃えるとかができなくて間違ってる。
さしで計って、長さを目で見て把握させて、っていうことを、地道にさせなきゃなあ、と思ったことだった。思ったことだったが、cmはまだしも、mmを読むのは、私も目がかすんでしんどいっ。

10mmが1cm。このあたりでつまづいたら、このあと、リットルとかデシリットルとかアールとかヘクタールとか出てきたら、わけわかんなくなるぞ、と、わけわかんなくなった子どもの頃の記憶が、いまいましくよみがえってきたことだった。いまでも計量は苦手。単位、というものを整理できない。

見える数字でこれだけ間違うもんなあ、見えない数字なんか、どうしていいかわかんないよなあ。と思う。
突然あらわれて、もうさっぱり理解できないのがシーベルトとかベクレルとか。

昨日みかけた週刊現代の記事。崎山医学博士は0.19マイクロシーベルト/時以上のところでは、子どもたちを避難させることをすすめている。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/9839

一方で、福島市の子どもの通学路の側溝を除染したら、23マイクロシーベルト/時あったのが、6分の1の、4マイクロシーベルト/時になりました、というニュース。子どもがいるんだよね、そこにね。

放射性セシウム濃度が200ベクレル/kg以下の汚泥は肥料原料としての利用を認める、というニュース。この数字はなんだろうなあ。

正しい計算って何だろう。誰が、正しい計算をしてくれているのか。
そうして、見えないものをあらわす数字が、見えるものになったとき、何が起こるのだろう。

おそらくは、とほうもない間違いを大人たちがしているのに、どうしてこんな計算もできないのかと、子どものプリントの間違いを責める気にはならないよなあ。
ならないけど、間違ったところはやり直し。やり直せるんだから、やり直し。やり直しできるって、とってもしあわせなことだよ。だから、そんないやそうな顔しないでさ。