書評 洪水八号に

「洪水」八号に、山田消児さんが、 Photo
野樹の歌集『もうひとりのわたしがどこかとおくにいていまこの月をみているとおもう』
の書評を書いてくださっています。
汲んでもらって、たいへんありがたく、うれしく。

文中に引用してもらった歌。

 ふるさとにもどればそこはふるさとに似ている廃墟 なにが あった の
 夕闇の廃墟に父は 見つからない娘の教科書だけを見つけて

 窓枠ももう消えている窓の向こう、はだかの雲がながれています

 人間は地雷を埋める 泥だらけの手で球根を植える仕草で
 ヒロシマは「希望」だといういま破壊されているガザのあなたにとって

 呼ぶ声に応えることを思いつかぬ子であるらしい(かつてわたしも)
 もうひとりのわたしがどこかとおくにいていまこの月をみているとおもう
 夜行バスの窓から見えた満月のほかは全部がゆめかもしれない

最後のくだり

「ひと椀の食事を求める人々の列 千年も二千年も続く
 虚空に青い地球が見えてもう二度とそこにはもどれないとおもった 

 冒頭で触れた「ゆめとはいえ」からさらに二首引いた。まるで死者の目でかつて自分が生きていた場所の現在を遠くから眺めているかのような歌である。夢うつつの情景であることによって、歌は一つきりしかない現実という枠組みの外へと飛翔し、まだ見ぬ未来にまでつながることが可能となる。
 体験と空想とを往き来する振幅の間から作者個人の行動や感情の記録とは異なるひとつの世界像が浮かび上がってくる瞬間がある。そのとき、歌ははじめて文学として屹立することができるのではないだろうか。」

 ひそかに、願うところです。



「洪水」八号の特集は湯浅譲二
川田順造との対談をまず読んだ。

対談とは関係ないが、川田氏が東京の江東区だっけ、芭蕉記念館や深川あたりの話を書いていた本を、以前読んだことがある。
去年かな、17年ぶりぐらいに、そのあたりを歩いた。20年前、はじめて隅田川を見たときにこみあげてきた絶望感は、なんだったんだろうなあ。もっと東京を好きになれるような道の歩き方も、もしかしたらあったのかもしれないなと、思ったりした。

他には、加藤治郎さんが短歌5首。豚の帽子、に笑った。
「雲遊泥泳」は、蝦名泰洋さんが好きに喋ってる。

「ふきだ詩」は写真がよかった。写真がいいなあ。小さいつぶやきがぷかぷか浮いている。

「太陽もたましいもぷかぷか浮かんでいる
 路地裏の川に」