アジア越境の方法──現代詩手帖3月号に

3月になってあったかくなったなあと思って、畑でふきのとう摘んだり、川でクレソン摘んだり、していたら、また少し寒くなって、
3月3日おひなさまの日の朝は、雪。
綿雪がしずかに降ってくるなかを、子どもたちは息で雪を、たんぽぽの綿毛を吹くみたいに吹きながら、傘さして学校へゆきました。



現代詩手帖」3月号に、田中綾さんが「アジア越境の方法 いたみの現前化と架橋」と題して、野樹の歌集『もうひとりのわたしが(以下略)』の書評を書いてくれていました。 Photo

「歌集には幾人かの〈われ〉が構築されているが、その一人が李箱(イサン)である。日韓併合の年に生まれ、植民地下の朝鮮でモダニズム詩を主導した夭折の詩人。四十編余の日本語詩も残した李箱の内面に錨を降ろした連作より。
 駅名を覚えてもわからない(ここはどこ)川のように他人が流れて
 あなたがそう言うならあるいはそうでしょう わたしの胸の井戸には毒が
 李箱が高等学校で学んだのは建築であったが、朝鮮の教育で建築工学が重視されるようになったのは関東大震災の影響と言われている。二首目の「井戸には毒が」は震災時の朝鮮人虐殺の記憶が重ねられているだろう。「わたし」の胸底を凝視すると、アジアの越境には、歴史のいたみの現前化が避けられないことがわかる。そのうえで、架橋として詩歌の可能性があることを意識していたい」

「何度でも壊れてきたからあたたかい女たちいて異郷が故郷
(略)「何度でも壊れ」たがゆえに、支え合うことを範とするあたたかな人間が発語を試み、その発語が、静かに橋を架けてゆくのだ」

汲んでもらって、たいへんうれしく。



この号、まだ読んでいないけれど、「越境するアジア──東アジアの詩は、いま」が特集。
昔、もう20年以上前かな、中国現代詩集「億万のかがやく太陽」やその他何冊かの中国現代詩の詩集がたてつづけに出た時期があって、それらを読んだときの、どきどきした気持ちを思い出した。なんだかすごく眩しかった記憶がある。そのなかの北島や芒克の詩のいくつかはいまも覚えてる。
 
 億万個のかがやく太陽が
 打ち砕かれた鏡の上に現われる 
              北島「太陽城メモ」より