放浪記

女優の森光子さん92歳で逝去、というニュース。

林芙美子の「放浪記」の、
海が見える、というところを読みたくなった。
はじめて、読んだとき、ほんとうにそこで海が見えたようだった。実際に尾道の海を見たのは、それからずっとあとだったんだけど。
最近は、橋が通って、いまは毎年のように四国に帰る度に渡る海なんだけど。

 「海が見えた。海が見える。
 五年振りに見る尾道の海はなつかしい。
 汽車が尾道の海にさしかかると煤けた小さい町の屋根が提灯のように拡がってくる。赤い千光寺の塔が見える。山は爽やかな若葉だ。
 緑色の海の向こうにドックの赤い船が帆柱を空に突きさしている。
 私は涙があふれていた。」 (放浪記より)

宇和島に帰るときも、海が見える。みかん山と海が見えると、ああ帰ってきたと思う。山の緑と海の青がきれいで、どうしてこの山と海から切り離されてしまわなければならなかったのか、学生のころ、それから東京にいたころも、帰ってきて海が見える度にそう思って、出て行ったのは自分なのに、悔しかった。
泣かなかったけど。

「風琴と魚の町」という短編のことも思い出した。タイトルがいいなあ。
昭和のはじめの貧しい家族の話。

「放浪記」や「風琴と魚の町」は、不思議な親しさと、率直さで、文章がすっすっと胸に入ってきて、好きだった。
貧しさの手触りとか。

昭和ももう、遠いかしら。
前世紀のことだよね、って子どもは言いますが。