朝鮮人だろう、ということはしばしば言われてきたのだった。
あいにくそうではないのですが、そういわれる理由を考えると、だいたいふたつ。
ひとつは、野樹かずみの短歌に、作者は在日朝鮮人かも、と思われるような表現があること。これは私としてはすごく意外だったんだけども、自然な誤解かもしれないし、いたしかたないのかもしれない。
もうひとつは、私個人の言動について、あいつはへんで、ふつうの日本人の女のようじゃないから、朝鮮だ、というもの。朝鮮の本読んでるし、朝鮮でなかったら、ふつう、読むか、とか。学生のころに言われたのか。こういうのは人づてに聞くのだが、その論理はさっぱしわからん、と思っていたが、いまは、そういうのがネットにあふれかえっているので、にぶい私もようやく気づく。
それをレイシズムというんだな。
ソウルの日本大使館前で少女像を撤去するなという一人デモをした日本人の女の子が、ネットで、その手の中傷にさらされているのを見る。あいつは朝鮮人だ、と。日本人ならそんなことするわけないって。
日本人が、朝鮮人の側に立ってものを言う、というのが信じられないらしい。
彼女は、まっとうな人間でいようとしただけだよ。
相手の立場に立って、考えましょう、って、子どもの頃にならわなかったか。
またしても高校無償化の審査延期とか言っている文部大臣もっ。
子どもたちはかわいそうだけど、とか言うな。愚かな政治の犠牲にして。
忘れないでいたいと思うのだが、ほんの数十年前、この国のまっとうな人間は、非国民呼ばわりされて、治安維持法で、刑務所のなかにいた。非国民になれない日本人は、人殺しに荷担させられていた。
非國民、否緋國民、日の丸の丸かすめとり生きてゐてやる 塚本邦雄
日の丸の丸をとったら、白旗の、ただの敗戦国。
非国民でいいんだわ、まっとうな人間でいられるかどうかが、それだけが問題。それがほんとうに難しい。