短歌研究1月号に

石牟礼道子さんの講演会が中止になったという記事を見た。体調が心配。
すこし前に短歌研究の1月号を図書館でぱらぱら見た。たまに図書館に行ったときにしか見ないのだが、そこに、思いがけず石牟礼さんのエッセイが載っていたのが、よかった。

若い頃に、熊本市で開かれる歌会にたまに出かけた。農家の主婦で、熊本まで行くなんて、なかなか難しいことだった。歌会のあと、はじめて、喫茶店というところにはいったとき、喫茶店の作法がわからなくて、どぎまぎした。そして、お母さんをかき氷屋さんに連れていったときのことを思い出す。はじめてそういう店に入ったお母さんが、店にいるお客さんひとりひとりに、まるで自分の家に来たお客さんに挨拶するように丁寧に挨拶していた姿。

……という、頬ずりしたくなるほど、愛らしい話で。
読んでください。
言葉、というものはありがたい。はじめて喫茶店に入った石牟礼さんや、はじめてかき氷屋さんに入ったお母さんの、こんな慕わしい姿を、とどめてくれる。
私たちが失ってきたもののとほうもなさに、めまいする思い。たぶんもう、何を失ったかもわかんなくなってる。



喫茶店というものにはじめてはいったのは、小学校の終わりか中学校のはじめ。都会から帰ってきて一緒に暮らしはじめた兄に連れられて行った。コーヒーを飲む習慣を家に持ち込んだのは兄だったし、ちょうどその頃、町に、喫茶店というものが、雨後の竹の子のように次々に出来ていて、左官の仕事に行く父の現場も、喫茶店が多かった。
兄はとにかく、喫茶店が大好きな人で、よく連れていってくれた。同じ場所に、見知らぬ人たちと一緒にいて、挨拶もしないで、見知らぬままで別れる、という流儀に、私も最初とまどった記憶がある。だってそれまで、人にあったら挨拶するんですよ、と教えられていたのに。
クリームソーダというものをはじめて飲んで感激しました。こんなきれいな飲み物があるのかしらって。
でも大学生になって、自分が喫茶店でアルバイトするようになっら、たちまち魔法は消えたけど。