「狙われたキツネ」

1989年12月にルーマニアチャウシェスク独裁政権が崩壊した。独裁者夫婦が処刑された映像を、あのとき私も見た。処刑直前の夫婦の顔が印象的だった。愚かさがぼんやり口をあけたような。悪の凡庸さ、という言葉を体現したような。

あんなにも残酷なものは、こんなにも凡庸な愚かさなのである。たぶん、いつの世も。どこの世界でも。

ヘルタ・ミュラーの『狙われたキツネ』は独裁政権崩壊直前のルーマニアの話。面白かった。
なんでもない(でも空気にまで恐怖の偏在している)日常を丹念に追っていくのだが、この日常のひからびた感じ、絶望感のリアリティが、すごいな。そんな世界で暮らしたことはないと思うのに、ごく親しいものとも思える、絶望の手触り。

「影というのはいつだって自分の主人を見捨ててきた」

「子どもたちのイボだらけの指には、いじめの記憶が残されている」

「灰色の産毛がはえたような埃」

「この国には視神経がはりめぐらされている」

「公園には怯えが空気のように立ち込めている。そのためみな、とにかく慎重に考えるようになり、他人が話したりやったりしていることがまるで自分のことのように思えてくる。自分で考えていることを大きな声で話してしまっているのか、それともその考えは喉もとでとどまってくれているのか、あるいはただ小鼻がひくひくするだけですんでいるのか、まるでわからなくなる。怯えた空気のなかに身を置いていると、こんなふうに何から何まで気になってくるのだ」

「それを望んだことなど一度もないのに、彼らがここにやってくるのは、それ以外の道を知らないからだ」
「貧しさと絶望から、また人生に嫌気がさしたために、こんなゴミだめみたいな工場しか見つけられないのだ」

「ついには何ひとつ考えられなくなって、ドナウ川がこの村を世界から遮断しているのも当たり前のことのように思えてくるんだ」

「顔のない顔がある
 頭は砂でできている
 そして声なき声
 あんたらと何を交換することができるんだろう
 兄弟のなかから好きなのを選べばいい
 その代わりタバコを一本置いていけ」

「おれが持っているものといえば 頭のなかの考えだけ
 あんたらに 何を売ればいいんだ
 このくたびれた上着には
 ボタンが ひとつきりしかないというのに」

「この国を世界から遮断してくれるドナウ川があるおかげで、世界はずいぶん幸せな思いをしているんだよ」

「散らばっている雲はすべて空の置き手紙なのだろうか。空がこの街を捨ててはるかな上空に出て行こうとするときに」

「不幸というものは、あからさまで、つねにむき出しのものときまっている」

「親父が殺されたときにも空がそんなに高いところから下界を見下ろし、そしてまっすぐな冷たい日差しが親父の殺された壁にあたるのをただ見ていただけなんて、そんな馬鹿なことがあっていいんだろうか」

「この窓も外の雨に濡れた道から見れば、ただの窓でしかないなんて。それに毎日、毎晩、世界は、盗み聞きをして他人を苦しめるやつらとひたすら沈黙をつづける人々に分かれているなんて」

「うれしくてしょうがないんだけれど、同時にこんなに喜んでいて大丈夫かしらと、とても心配になってきたの」
「だからもうあの頃から、どっちがキツネで、どっちが漁師なのか区別ができなかったのよ」

「最初のうちこそ悪態はトウモロコシの茎のあいだを勢いよく駆け登っていくが、たちまち自ら首をくくって萎えてしまう。(略)だから悪態が口をついて出た瞬間には、もうその悪態は存在していないといえるのだ」

「ごく普通のルーマニア人が地獄に堕ちた。地獄はすごい人ごみだ」

「見ても開けてもいけない引き出しがたくさんあるんだって。木の幹にも原っぱにも塀にもそんな引き出しがあって、それには必ず耳がついてるっていうんだ」

「やつらを見ると虫酸が走りそうだ。だけどやつらがかわいそうで涙が出てきてしまう。どうしてこんな気持ちになるんだろう」

「なぜなら戦車はまだ街のいたるところに止まっているし、パン屋の前にはあいもかわらず長蛇の列がつづいているのだから」
「ただ古いコートが新しいコートに変わっただけなのだ」

という話。