線路がゆがんだ

今日、子どものエレクトーンの発表会。
教室の仲間5人のアンサンブルで出場。去年、まぐれのように銅賞もらったもんだから、今年も何かもらうつもりでいるが、この演奏で賞はないでしょ、と思っていたら、やっぱりなかった。
列車が楽しく走る曲なんだが、子どもが言うには、
「なんか、線路がゆがんだみたいだったんだ」
たしかにね、そんな感じの演奏でした。



まあ、それでもよくがんばったので、デパート行って、ハンバーガーとドーナツ食べさせて、本屋で、地図帳買ってやる。子ども向けの地図の絵本では間に合わなくなったので、日本地図と世界地図が一冊にまとまっている高校生用の地図帳を買ってやったら、何がそんなにおもしろいのか、ずーっと見ていて、
「ママ、福島第1原発と第2原発がある」と「大発見」を伝えにくる。
そりゃあるよ。書いてないとこわいと思うよ。



漱石の秘密』(林順治)という本読んでいる。里子に出されたり、また親もとに戻されたりの複雑な幼少年期のトラウマと神経症と、作品や時代背景との関わりを、丹念に追っていく。そろそろ終わりに近いが、話は、明治という時代精神にも関わってくる。

漱石は、結果的に、自身の出生の秘密を、現代日本の開化の秘密まで格上げしたのだ。むろん、歪(いびつ)なのは日本の近代ではない。漱石自身である」と指摘する三浦雅士の文章について、著者は「日本の近代もまた歪であった」と修正したいという。
そして続ける。

「たしかに漱石は幼児期の体験によって神経症になった。しかし漱石は自ら誕生の秘密を解明することによって正気になったが、日本の近代は狂気のまま正気に戻ることはなく突っ走った。」

そうして日本は、敗戦まで突き進んだのだろうが、その後もやっぱり歪んだ線路の上を走っていたんだろうな。システムも歪んでいるし、人間も歪んでいる。そして、止まれない。



帰って演奏のビデオを見ていた子ども、「ビデオを見ると、ぼくが下手だったってことが、ほかの人にはわからなくても、自分にはわかる」と言った。

それはきみは、とてもいい経験をしたんだよ。

自分の歪みについて、ほかの人にはわかっても、自分には、なかなかわからないもんだと思うよ。それでとてもやっかいなんだ。人間も、人間が暮らす世の中も。