めちゃくちゃ通り

母親が私の年齢だった頃、彼女は母親らしかった、という気がするんだけど、私は無理だなあ、と思うな。

「あんたは母親だろう」ってときどきパパが嘆くが、何を嘆いているのかを、理解するのが大変。どうしてそんなに子どもをほったらかしなんだ、ってことらしいのだが、パパがかまいすぎなんだよ、と思うけど、それはママがほったらかしだからだ、と水掛け論になるので、だまっとく。

子ども、お風呂に入って、自分で体を洗ったことがないのだ、と気づく。小さいころはともかく、この2、3年はずっとパパと入っていて、パパに洗ってもらっていたのだ。ところが、この2週間ほど、パパが腰を痛めたので、私が入れてやるんだが、「もうすぐ8歳になるし、自分で体を洗おうよ」と言ったら「むりだよ」とおびえる。「できるできる、手伝ってあげるから」と声かけして、やらせた。
できるじゃん。

母親らしいことのひとつに、本の読み聞かせもはいるんだろうが、私は早々にドロップアウトした。
子ども、2歳でひらがな読み始めて、教えたらカタカナも漢字もどんどん読めるようになっていって、本も自分で読んでいた。
その頃、私は読み聞かせをしてやるのが、すごくつらかった。終わりというのがわからない子どもで、何冊も何冊ももってくるし、読まなかったらぐずってどうしようもないし、読んだら興奮していつまでも寝ないし。
それに、読んでいるとすぐに息があがって、めまいしてきて、つらいし。

いったいこれはなんの苦役か。幸い自分で本が読めるんだし、自分で読みなさい、と思って、読み聞かせやめた。いいお母さんになんかならなくていい、こんなに楽しくない本読みはいやだ。

すると子ども、自分では、電車の本と図鑑ばかり読んでるのだった。めくり慣れた本しかめくらない。ものがたり、というものの理解がおぼつかないのがふと気になった。それで去年ぐらいからか今年になってからか、寝る前に本読んでやることにした。
すると子ども、幼稚園の頃に比べたら、すこしはものわかりよくなっていて、何冊も何冊も、ということもないし、興奮して寝ないということもないし、セリフのところは自分も読みたがるし、なかなか楽しい。

私も、自分が読みたいのをさがしてくる。
いま読んでいるのが、「霧のむこうのふしぎな町」という本。霧のむこうのふしぎな町で夏休みを過ごすことになったリナちゃんは、ピコット婆さんの下宿屋に住んで、食い扶持かせぐために、めちゃくちゃ通りにあるいろんなお店で働くのだ。
千と千尋の神隠し」のアイデアのもとになった本らしいです。

めちゃくちゃ通り。
わざわざ本のなかに迷いに行かずとも、この世はいろんなめちゃくちゃ通りがあって、自分もそれなりに、いろんなめちゃくちゃ通りで、人に会ったり働いたりしてきたと思うんだけど、ああ、ほんとにめちゃくちゃだよね。
どんなふうにめちゃくちゃなのか、なぜめちゃくちゃなのか、そういうことを考えたり考えなかったりして、毎日過ぎているんだけど。
思えば思うほど、あまりにもいろんなことがめちゃくちゃなので、私たちの暮らしぶりなんか、少々めちゃくちゃでも、ほんとにつつましいいじらしいものに思えてくる。

本のなかのめちゃくちゃ通りは、心の温かいひとたちが生きていて、読んでいてしあわせだ。

それで子ども、図鑑もものがたりも、ところどころ丸暗記して、脈絡もなく、突然、ひとりで喋ったり怒鳴ったり笑ったり跳ねたりする。
あのさ、横に人がいるときに喋ったら、その人は、きみに話しかけられたと思う、バカメって自分が言われたかと思うよ。言われたら怒るよ。

お話のなかのオウムの名前なんですけどね、バカメ。