針と糸

もう限界だから捨ててくれって、穿かないでくれっていうのに、穿きつづけて、私がもう捨てようと思ってゴミ箱の上に置いていても、それを拾ってまた穿いているGパンの、
「膝が破れたから繕ってくれ」ってもってくる。
すでにもうつぎはぎだらけで、つぎをあてたその傍らが布が透き通るみたいになって破れていく。
そういうのを平気で外に着ていく。まあ私も似たようなもんだから、あんまり気にならない。ただ、他人様が気にしてくれて、あれこれ着られそうな服をくださったりする。ありがたくいただく。なかに気に入ったものがあれば、またそれを穴があくまで着てるわ。

で、すくなくとも10年以上は穿いているぼろぼろのGパンと私は3日前からとっくみあっている。膝だけでなく、尻とか裾とかいろんなところがぼろぼろで、ミシンを酷使して、ツギをあてまくっているんだけど、針は折れるし、糸はからむし、ついに換え針も、糸も、なくなってきたので、今日、歌にもあるとおりに、針と糸を買ってきた♪

デニム用の丈夫な針をつけて、作業再開したんだが、自分の指を縫っちまったい。丈夫な針である。穴が開いて血が出た。見ていた子どもが、あわてて、パパを呼びに行く。
やってきたパパ、血を見てパニックである。絆創膏ひとつですむ傷だが、気持ちのほうはそうはいかないらしいのだ。もうそんなズボンいらん。繕わなくていい。こんなミシンこわしてやる、だいたい、あんたは縫うときの姿勢が悪い、どうして机を出して適当な高さにして、まっすぐ縫わないのか。(って、まっすぐ縫えないようなところに穴開けてるんじゃないか)

子どもが、「ママごめんなさい。ぼくがパパに言ったから、ママがしかられた」と言う。いやいやきみは悪くない。叱られたんじゃなくってさ。心配してるんだよ。パパはさ、あんまり心配すると怒っちゃうんだ。

包丁使ったり針使ったり日常的にするのである。指先の怪我も日常的にする。数日前も、セロテープのカッターでも切ったし、紙でも切ったし。
どうってことないのである。

どうってことないのであるが、耐えられんらしい。ママが怪我するのを見ると、膝がふるえる、という。そういえばいつだったか、かぼちゃ切ってて指切ったときは、怒ったあげくに、かぼちゃ禁止令が出たもんね。禁止令が解けたわけでもないが、まあほとぼりもさめて食ってるが、あれ以来のこぎりで切る。かぼちゃ。ぎーこぎーこ。

だけどさ、りくが生まれるときは、立ち会って、生まれてくるところ見たでしょう。血だらけで出てくるところとか、見てるし、写真も撮ったのに。
って言ったら、「ばか、あのときも膝がふるえてた。がまんしてたんだ」と言った。

そんなわけで、晴れて捨ててもいいことになったぼろぼろのGパンだが、これだけ苦労してツギあてしてきたのよね。何年も前からのツギも数えたら片手じゃすまない、両手でも足りないくらいの箇所をツギあてしてきたのよね。いまさら捨てるなんて言わないでよね、という感情が湧いてくる。

ほとぼりさめたころに、またミシンひっぱりだして、つづきをしよう。