帽子

 ミシンを踏んで、という言い方はもう正しくない。ミシンはもうとっくに踏むものではなくなっているから。ミシンを動かして、ミシンで、子どもの帽子をつくった。
 子どもが生まれた日に夫が着ていた緑のチェックのシャツは、そのときすでに首のあたり擦り切れていて、袖口もぼろぼろだったが、それでも着ようとするから、もう捨てるよ、とある日ゴミ箱に突っ込んだら、「それはリクちゃんが生まれたときに着ていた服なのに」と執着する。それで、捨てられなくなったそのシャツで、赤ちゃんの帽子をつくったのが、2年半ほど前。そのときは大きすぎる帽子だったのに、最初の2年間、子どもは帽子をきらって被ってくれず、この春いきなり帽子を被るようになった頃には、すでに小さくなっていた。新しい帽子もあるし、それにはっきりいって、かなりよれよれで不恰好な帽子、とっておいてもしょうがないので捨てようとしたら、またしても夫が、「僕がその服を着ていたときに、リクちゃんは生まれた」と執着する。それで、私のもう着ないジーンズのスカートで新しい帽子をつくって、それに緑のシャツの帽子のツバの部分を付け足して、残ったキレで、ウルトラマンの流星のマークなんかをつくって縫い付けて、秋の新作帽子にした。
 
 小学校の4年ぐらいのとき、帽子をつくった。包装紙やボール紙を切ったり貼ったりして、いろんなかたちの帽子をつくった。学校から帰って、ひとりで工作して、できた帽子をかぶって、近所の店にお菓子を買いにいったりした。紙じゃなくて、きれいな布で、ほんとうの帽子をつくれたらいいのに、と思ったことなど、思い出した。10歳の頃にあこがれていたことを、今私はしている、と気づいて、なんだかおかしかった。
 
 思えば、していることはあの頃と同じ。紙が布になっただけで、適当に切り貼りしただけ。それでも、なんとか帽子のかたちにはなっている。「リクちゃんのおぼうし、リクちゃんのおぼうし」と、子どもが喜んでいるから、まあいいでしょう。ミシンは快調だったが、午後いっぱいかかった。くたびれた。