空飛ぶ円盤

宇宙研究所の話。
たまさか見かけて、気になって調べて驚いた。 私の郷里に、宇宙研究所があるらしい。墓に囲まれた場所にあるらしい。東大出身の地元の研究者?がそこで、UFOや空飛ぶ円盤の研究をしていたらしい。その人はもう亡くなったそうなんだけど。「宇宙艇」という雑誌を出したり、本もいろいろ書いた人らしい。
さてそれで、驚いたのはwikiの次のような記述なのだ。

...

「1973年(昭和48年)に宇和島市長堀、三島神社下に「重力研究所」(現「宇宙研究所」・同市、野川)を設立してUFO研究や宇宙人の研究に本格的に取り組む。」

長堀って、長堀って、私そこに住んでた。70年代、子ども時代を暮らした地域だ。三島神社なんて遊び場でしたが、そこにそんな研究所があるなんて知らなかったよ。
話によると、その研究者は若い頃、火星人から手紙をもらったことがあるらしい。もしかしたら、その神社下の研究所あたり、宇宙人が出没したりしてたかな。

そんで私が、夏休みの度に、弟をひきずって神社の境内にラジオ体操に通ったりとか、その近くの保育園でやってた絵の教室で、窓から見える畑で肥の天秤を担いで働いているおばあさんの絵を描いていたり、するのを、宇宙人は見てたかな。
行商の魚売りのおばさんが、この魚は龍馬先生の好きな魚じゃったと、言いながら魚売ってたりした道。私の極端な引っ込み思案を心配して、母が通わせることにした塾。その塾で、私は小さい子の宿題の面倒を見たり、鳥のすり餌をつくっていたりしていたけど、ある日、教室に迷い込んできた白い子犬があとをついてきた。あの子犬も宇宙人は見てたかな。そのあと死ぬまでわが家で飼った犬。
それから、学校帰りに、仲の良かった男の子と、水たまりに、さざんかの花びら浮かべて遊んでいたら、いつになっても帰ってこないのを心配して探しにきた母に見つかって叱られたこと。そのとき、男の子は、転校するからもう遊べないって話をしていたんだ。それがどういうことかよくわからなかったけど、本当にそれからその子はいなくなって、遊べなくなった。名前もおぼえてない。でも私はおぼえてないけど、もしかしたら宇宙人は覚えているか?

ついでにその三島神社、「世界の中心で愛を叫ぶ」という小説の舞台だった。
私、その神社で愛は叫ばなかったが、「おかあさんのばかあああ!」と叫んだことはある。けんかしたあとだったかな。
写生大会がその神社で、青い絵の具が足りなくて、いっぱい咲いていたツユクサを、画用紙にすりつぶしたこともある。空飛ぶ円盤を、私は見たことがないが、空飛ぶ円盤からは、私が見えていただろうか?