居場所

昔、16年くらい前かな、9か月くらい一緒に暮らしていたひとまわり年上の膠原病を抱えたお姉さんがいて、って、全然知らない人だったんだけど、なりゆきで、家主が夜逃げして競売物件になった家で、そのお姉さんと、それから捨て猫4匹と暮らしていた。
委細省略するけれど、その後私はその家を出て、家も売れてお姉さんも猫を連れてその家を出た。その後会ったことはなく、電話もそのうち途絶えたのが、去年15年ぶりに、つてをたどってお姉さんが探してくれて、連絡がとれた。
それからいろいろ手紙やら電話やら、やりとりが続いているのだが、なんだかいつも私は怒られている。理由はひとつで、
「うんともすんともない。なんで電話も手紙もよこさないのよ」
ということなのだが。

電話はきらいである、離れて暮らしているし、とくに用事もないし。手紙も、最近はほとんど書かなくなっているので、パソコンとかメールとかでやりとりしない人とは、とかく疎遠になってしまいがちではあるのだが、なかなか書くのも面倒だ。
で、いつどういうふうに、連絡すれば、機嫌を損ねないのか、音信のなかった間のことも現在のことも、ひととおり報告し終わったし、あとは何を話せばいいのか、よくわからなかったのだが。
昨夜8時前に電話。「今からNHK教育で、発達障害の番組あるから見なさいよ」という。今晩も8時前に電話。「今日も今から、障害者についての番組あるから見なさいよ」という。

いきなり、理解した。そうか、これは、家族の感覚なのかも。もしかしたら、お姉さんにとって、私は家族らしい。りくも甥っ子ぐらいの感覚で、それで、あれこれ買って送ってくれたり、発達障害関連のことに敏感になったりしているらしい。
と、ようやく気づいた。

家を出たその年に母が死んだせいもあるけど、家族と日常的に連絡とりあうなんてことは、なかった。たまに忘れたころに、兄や弟や父から電話がかかってくるのは、たいてい何かしら胃がいたくなるようなトラブルだった。あ、私が電話をかけるときもそうだったな。金がない、とか、逃げてきた、とか、しばらくかくまってほしい、とか。

で、たまに父なんかに電話をすると、「おお、生きとったか」という話になるが、それは1年2年3年ぶりぐらいに話すからそうなので、たった1か月くらいで、「あんた、どうしてんの、生きてんの」と電話がかかってくると、いやもう、どきまぎします。

結婚して驚いたのは、義父母さんから何でもないことでしょっちゅう電話がかかってくることだった。私に用事があるわけでもないだろうから、電話代ももったいないし、すぐにパパに代わるようにしていたら、それが不審がられたらしく、じゃあどうすればいいんだろう、ってパパに言ったら、子どもの話でもなんでも、ふつうにおしゃべりすればいいのだと言われて、なかなかわからなかったけど、なかなかなあ、ふつうのおしゃべりというのも難しいんだ。
そっか、家族か、と気づくと、たしかに、お姉さんの電話、義父母さんの電話と似ている。

あ、そういえば、自分の父には、私、去年の秋から電話してないかも。夏の予定たてたら電話しよう。

で、知らせてくれた番組見た。
http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/info/1006/100614.html

知的障害とダウン症の兄弟が、悪い奴らに利用されて、窃盗させられるという内容。映画は、障害者の居場所について問いかける。実際、受刑者の2割以上が、知的障害者であるという。

私の弟は行方不明だった二十歳前後に、大阪で仕事をなくして路頭に迷っているところを、彼の言葉によると、ヤクザに「スカウトされて」そこの事務所に何年かいたらしい。で、入れ墨あるし小指ないし。幸い、どういう経緯かわかんないが、数年で足は洗ったらしく、刑務所にも入らなかったが、仲間のヤクザは入ったらしい。「友だちが広島の刑務所にいたときは、面会に行っていた」らしかった。ちょうどその頃、私は刑務所の近くに下宿していたが。お互い、そんなことは知らない。
弟、その後は建設現場を転々として生きていたらしい。

みたいなことも思い出したりして、けっこう身につまされる内容だった。

「手紙よこしなさいよ。いまもう、酸素の管つけてて、足も駄目になって、歩くのがこわくて外にも出られないし、あんたの手紙のほかに楽しみがない。生きてるうちに会いに来なさいよ。」
ああ、家族だ。