カサンドラ症候群と絶縁体

今日はじめて知った言葉だけど。
内容は身につまされてよくわかる。

カサンドラ症候群 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

それで、なんだ、こんなことかと、ようやくわかったときに、人生の半分が過ぎていたのはいかにも悔しいことだよ。
いま、わたしんちは、家族みんなASなので、その点はわかりやすくて助かる。でも、家族みんながASという、それはそれなりのしんどさがあるにはあるが、そのことについては、どう表現すればいいか、わからないな。なんか表現しようがない。まあ、なんとかやっております、ということで。


発達障害、という。私には私があたりまえで、私の子どもがあたりまえなので、障害と言われても困るのだが、でも障害物競争あたりを思い浮かべるのなら、障害という言葉も適当かなと思う。障害物が、たくさんあるのだ。関係とか、認識とか、なんかそんなところに。なんでもないようなところにも。

絶縁体、という言葉をパパが言った。
たとえば、人の言葉がはいっていかない。言葉は聞いているし、意味もわかるが、何か絶縁体があって、届かないのである。無視しているのでなく悪意があるのでもないが、百度千度言われても届かない。絶縁体があるのだ。でも、絶縁体を超えることができないわけではない。それが自分に何の関係があるのか、腑に落ちれば、ふっと絶縁体を超えてやってくるものもある。(困るのは、大事なことはなかなか超えてこないが、愚かしいことは、やすやすと超えてきて、道を迷わせるってことだ)

強いストレスとか苦しみとか、経験によって、絶縁体が消えることもある。心身摩耗の果てに、ようやくわかるようになることもある。

息子も一個の絶縁体である。「うん、わかった」って返事するが、絶対わかってない。でもわかってもらわなければいけないこともあるのだった。


いちご162個+α。まだまだ採れるが、小さいいちごが多くなってきた。季節も終わりに向かっている。
夕方、秘密基地のブルーシートのなかで読書。いまさらだけど「悪童物語」読了。