『わたしたちの涙で雪だるまが溶けた(子どもたちのチェルノブィリ)』④

『わたしたちの涙で雪だるまが溶けた(子どもたちのチェルノブィリ)』④

第四章 わたしは生きる

☆スベトラーナ・スコモロホワ

「大学病院では、私の血液の全面的な検査が行われた。私は病気であり、血液の成分の形が変わっていることが明らかになった。医者は、せめて一年間は今住んでいるところを出て、キャビアを食べ、新鮮なザクロジュースを飲むようアドバイスした。彼のアドバイスは、私の家庭にとって不可能なことであった。
 故郷ゴメリに帰ると、私は州立病院に登録させられ、毎週のように検査をされた。なんとおそろしい体験だったことか。(略)今、これまで耐えてきたことを振り返ると、悔しさと腹立たしさで胸がしめつけられるようだ。何人の子どもたちが、医者の怠慢や無知、専門技術の欠如で死んだのだろうか。彼らは、ここで何が起こっているのかを知らず、そのことを考えることさえしたくなかったのだ。 悔しさで胸がいっぱいだ。多くの親戚や知人の命が消えていった。私の叔母と叔父、知り合いの若い女性が死んだ。私の父も病気がちである。彼は事故のあと、汚染地区へ出かけていき、住民に食料を供給する仕事に携わったからだ。」

「まもなく母が帰ってくる。今日は「棺桶代」をもらう日だ。人々は汚染地区住民の補償金をこう呼んでいる。母は泣きながら帰ってきた。まだ35歳だった母の友人が死んだそうだ。」

☆ジアナ・バルイコ(15歳)

覆いをはぎとられたこの世の神経は
あの世の苦しみを知っている
     (V.ビソツキー)

「92年2月、私はプラーギンからゴメリの病院に送られた。病室の四人は全員同じ白血病患者だった。うち二人はいまわしい死をやがて迎え、私とオーリャの二人が残った。」
「真夜中、夢の中で、恐ろしい叫び声と医者の声がしたが、目を覚ますことができなかった。朝になると、ベッドが一つ空になっており、私の中で何かが崩れた。」
「明日、15歳になる。今日、医者がなぜか暗い顔で私の退院を告げ、そして母は泣き出した。」

「プラーギンの家に帰った。母が、自分の妹に男の子が生まれたので、行って支えてあげなければならないと言っていたが、私にはさっぱり分からなかった。(略)赤ちゃんが生まれて一ヶ月半たった今、それが、どういうことだったのかをはじめて知った。(略)突然、はげしく赤ちゃんが泣き出し、おばさんはゆりかごから赤ちゃんをとりだして、抱いた。私はぞっとした。赤ちゃんの頭は開き、脈を打っているのがみえるのだ。私は外に飛び出し暗闇の庭を走り抜けた。私は、もう少しのところで気を失いそうになった。私たちに何が起こっているのだろうか。どこの、どんな深い裂け目にころがっていくのだろうか。どうして、自らこの世の終わりに近づいているのだろうか。家の中では、赤ちゃんがひっきりなしに泣いていた。この世に生まれたことを嘆いているかのように。」

「「私にふるさとを返して! はだしで草原を歩きたいわ」「湖の水を飲みたいわ」「きれいな土の上に横たわりたいの」「暖かい春の雨で顔を洗いたいの」
 神様。私の言っていることが聞こえますか。」

☆ナターリヤ・カシャック

「ここカルポピッチには健康な子どもはほとんどいない。だが、汚染地図では、この村は「かつては汚染地区に入っていたが、現在では除染され、きれいになった」とされている。このことで気は休まるどころか、逆に腹立たしくなってくる。子どものほとんどに甲状腺肥大が見られるからだ。「アンチストルミン」やその他の薬はあまり効かない。貧血の子どもも多い。私の妹のアリョンカもよく病気をする。」

「ソチで、ベラルーシの子どもたちが「チェルノブィリのはげ頭」とよばれ、避けられることがあったと聞いたときには、不愉快だった。私たちはチェルノブィリの罪人なのか。チェルノブィリは毎日、私の心を痛め付けている。私たちがカルポピッチに引っ越してきたばかりの四月二十六日以前の幸せな時に時計の針を戻せないだろうか。どこに優しい魔法使いはいるのだろうか。どうして助けにこないのだろうか。」

☆マリア・ゴルボビッチ(13歳)

「兄は死ぬ前には、もう歩けなかった。兄は私にこう頼んだ。「ぼくのそばに座って、マーシェンカ、美男子になるように髪をといてくれないか」と。私は黙ってうなずいた。兄は暗い、生気のない目でただ私を見つめるだけだった。そして、私は一人祈り続けた。(略)こうやってチェルノブィリはわが家に侵入し、壁にかかる遺影として永久に住みついてしまった。」

チェルノブィリの悲劇は、私たち皆に慈悲、思いやり、良心を要求している。高度の人間愛を発揮するのを要求している。なぜなら、それがないところには、不幸が住みついてしまうからである。」

「何年たっても何世紀たっても
この痛みは私たちから去らない
それはあまりに大きく果てし無く
どうしても鎮められない
それは負の遺産として
何世紀も 私たちの子々孫々に残るだろう
そして彼らの心に居すわって
永遠に平静を奪うだろう
地球上の一人ひとりが
このおそろしい年、おそろしい日を覚えていますように」