かんしゃく玉


 子どもが、いきなり、はじかれたみたいに、持っているものを投げたり、親の顔を叩きにきたり、奇声を発したりして、かんしゃく玉を破裂させるとき、そのときの気持ちというか、心の状態というのは、よくわかる気がして、なんだか笑いたくなってしまったりする。

 思い出すのは、小学校1年か2年の何学期か忘れたけれど終業式の日、学校で使う上履きを持って帰った。それで持って帰った上履きを、家のなかで履いていたのだ。「脱ぎなさい」と母が言ったが、脱がなかった。畳の上を靴で歩くのは新鮮な感じがした。「家のなかで靴をはかない」と母は言ったが、上履きだからいいんだよ、と思っていた。台所のテーブルで昼ごはんを食べていたとき、母がまた「脱ぎなさい」と言った。私はいきなり立ち上がって、ものも言わず、振り返りもせず、上履きのまま、家を出てすたすた歩いていった。あれは、考えるより先に体が動くのである。

 そうして私は家出した。家出したのだから遠くへ行かなければいけないと考えた。その頃の私に思いつく一番遠いところは、祖母の家だった。子どもの足だと1時間くらいはかかったかもしれないが、同じ市内だ。ところが行ってみると祖母は留守で、家のなかはがらんとしている。
 ほかに行くあてもないが、のろのろと歩き出した。道といっては、家につづく道しか知らない。国道沿いの歩道にしゃがんで、ずいぶん長い間、落ちている葉っぱの上に道路の砂をのせて、それを並べて遊んでいたが、やがて飽きて、またのろのろと歩きだした。日もくれかかったころ、家の近くにたどりついていて、仕事帰りの父に見つかり、一緒に家に帰った。
 母は何も言わなかった。何日かして、あれは母から聞いたのか、近所の同い年のふみちゃんから聞いたのか、私が出ていったあと、母は2階の窓から私のランドセルを道路に投げ捨てたことを知った。ふみちゃんがそれを見つけてくれた。
 母もかんしゃく玉を破裂させていたのだ。