知るということ


 昔、叔父が、焼却場のあたりで拾った、といって、一冊の地図帳をくれた。少し焼け焦げているそれは、昭和4年頃の小学校で使われていた地図で、持ち主だったらしい女の子の名前が書いてあった。地図は、朝鮮半島も台湾も樺太も赤く塗られていて、日本の領土だった。日本はほんとうにアジアを侵略していたんだなあ、と思った。
   輸出品目の第一位は生糸だったと思う。その地図帳は、人に貸したらそのまま返ってこないのだが。

 フォトジャーナリズム誌「DAYS JAPAN」の1月号の特集は、「加害者としての日本」。写真は日本が中国に行なった空爆の惨禍を伝えて生々しい。都市への無差別爆撃をアメリカに先んじて行なったのは日本だ。上海にも、南京にも、重慶にも、爆弾を落とし、何万人も殺してきた。
 写真はほかに、残された毒ガス弾の被害、強制連行、台湾先住民の悲劇、従軍慰安婦の問題などを伝える。そのひとつひとつが、重く鮮烈な内容だ。
 学生のとき、それらのことをアジア史の講義ではじめて知って、戦慄したことを思い出した。

 翻って思う。もしも広島に来なかったら、大学でアジア史の講義を選択しなかったら、関連の本を読まなかったら、私はいまも何にも知らずにいるだろう。
 そして、もしも学生のとき、韓国人被爆者の証言を聞き書きする機会を得なかったら、韓国に旅したとき、在韓被爆者に出会ったり、パゴダ公園に行ったりしなかったら、また中国へ旅行せず、南京虐殺の跡地を訪れなかったら、日本の加害について、どんな現実感ももたなかっただろう。

 かつて日本がアジアを侵略した、ということは多くの人が知っていると思う。でも、どれだけ具体的に知っているだろう。高校までの歴史の授業では、ほとんど何も習っていないのだ。
 知らない、というのはおそろしいことだと思う。とりわけ加害について知らないということは。そして、知る、というのは必ず、具体的に知る、ということでなければならないと思う。いつどこで何が起きたのか。どんなふうに人が傷ついたり殺されたり、あるいは傷つけたり殺したり、したのか。
 歴史は漠然とした観念ではなく、具体的な事実なのだから。

   そんなことを「DAYS JAPAN」誌の写真を見ながら思った。写真は、歴史や人の生き死にがとても具体的なものであることを、鮮烈に思い起こさせてくれる。